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■経歴 青森県弘前に生まれ、幼少の頃に父を亡くし母は再婚を勧められるも応ぜず、遂に自刃した。 東京に出て苦学し海軍を志したが20歳を過ぎていた為、海軍兵学校には入れず明治24年近衛工兵隊として陸軍に入隊した。 翌年、時の大隊長であった牧野清人の薦めもあり海軍機関学校生徒募集に応じ最優等を以て合格し初志の海軍への道を歩み始める。 29年12月海機を卒業し日露戦争では旅順港閉塞作戦に広瀬武夫と共に「福井丸」に乗船し猛烈に降り注ぐ敵弾により広瀬は戦死し栗田は重傷を負った。 大正4年11月には海軍大佐に進み練習艦隊旗艦長、機関校練習科長、第一艦隊と第2艦隊の機関長を経て大正9年12月海軍少将に昇った。 舞鶴鎮守府機関長を務めて後の12年3月予備役編入となった。昭和7年11月に62歳で逝去。