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四国出身の軍人情報募集

以下の方々の情報で何かしら御存じの方は些細なことでもかまいません、是非お問い合わせか掲示板にて知らせて頂ければ幸いです。
また、既に掲載されている軍人の方々、ここに掲載されていない方々の情報も随時募集しています。

★簡単な略歴程度の事は記された資料がある方々。

・五藤正誼・別府宣春・宮崎定穀・苅谷正身・多賀宗義・松崎由矩・前野定雄・徳久元成・和気幸致
・吉本祐雄・諏訪重中・木村漸・下村定辭・荒尾成之・高見保益・下元実俊・三宮守崇・津崎繁次
・一瀬正藩・島弘毅・森田通治・石本権七・奈古政光・濱田謙蔵・磯林眞三・中西千馬・大西卓亮
・矢野茂・刈谷朝如・森利邦・吉川元永・藤崎誼樹・筒井元彦・井上正也・北岡吉秋・野本静枝

★わずかながら情報のある方々です。
管理人の知りうる情報は記しています。

氏名最終階級出身地検索キーワード
山中弼作 陸軍少佐 高知県 山中鼎作 山中光敬 山中光敏
備考
明治5年正月に陸軍少佐に任ぜられた人物。
この頃の高知県出身の軍人で同階級にあった人物は土屋可成、山地元治、八木|作、北村重頼、長屋重名。
明治初年で少佐はかなり高い階級で維新の際に顕著な功績があったのかもしれない。
≪子爵谷干城傳≫に土佐からの御親兵献上の際に藩兵を率いる役目が山地と八木に下ったが、山地は謙遜し「山中鼎作を以てせよ。」と辞退しようとしたが谷干城等に引きとめられたというエピソードが載っている。
この山中鼎作なる人物も同人物と思われる。
傳には、「山中は相当学問あり、風采宜しき人物であったが、その戦功に於いて、将又衆望に於いて山地に比すべくもない」と評されている。
「陸軍武官録」には明治6年まで山中光敬の名で存在を確認できるが以降の経歴は不明。 この時期の離職者と考えると征韓論争の際に、土佐軍人は大勢下野した訳であるが山中もその中の一人かもしれない。

★ほとんど情報の無い方々です。
御親兵献上の際に陸軍に出仕し、西南戦争で戦死、或いは明治10年頃までにはほとんどの方が陸軍を離れたと思われます。

氏名階級出身地備考
小坂重愛陸軍大尉高知県明治4年「官員録」では小松重愛となっている。
筧定良陸軍大尉高知県
川村知誠陸軍大尉高知県
五藤正治陸軍大尉高知県唯一の資料はアジ歴での検索で「元警部試補五藤正治代りとして巡査長久木村治を採用」の件名で西南事件なる薄冊の一部に名が残る。
冊子の内容は西南戦争の後の処置的な内容と推測、とすると戦死の可能性もある。
檜垣健義陸軍大尉高知県
竹内直胤陸軍大尉高知県
横山友資陸軍中尉高知県広島鎮台歩兵第3連隊第2大隊第2中隊に属し西南戦争を戦う。
合志郡鳥栖にて戦死する。
東野行孝陸軍中尉高知県明治8年5月20日 従七位に叙せられた記録があるのみである。
大塚勝陸軍中尉高知県
五藤正綏陸軍中尉高知県明治5年3月、御親兵九番大隊五番小隊 五藤中尉 2日免本官同8日に帰県とある。
町秀連陸軍中尉高知県明治5年3月、御親兵九番大隊八番小隊 町中尉 2日免本官同8日に帰県とある。
橋田正隆陸軍中尉高知県明治6年12月23日 依願免本官 陸軍中尉 橋田正隆の記録がある。
三宮脩安陸軍中尉高知県御親兵八番大隊附にして明治5年2月12日、陸軍少尉から陸軍中尉に任ぜらる。
7年2月23日 依願免官。
篠原英明陸軍少尉高知県
山田清躬陸軍少尉高知県明治7年10月時点で非職となっている。
足立貞義陸軍少尉高知県明治5年3月、御親兵八番大隊七番小隊 足立少尉 2日免本官同6日に帰県とある。
「貞義」の義は間違いで土佐勤王党血盟同志の足立貞長ではないかと思われるのだが…確証は無い。
岡本元貞陸軍少尉高知県明治5年3月、御親兵八番大隊八番小隊付 岡本少尉 2日免本官同6日に帰県とある。
福田正章陸軍少尉高知県明治5年3月、御親兵九番大隊三番小隊 福田少尉 2日免本官同8日に帰県とある。
高田通政陸軍少尉高知県明治5年3月、御親兵九番大隊六番小隊 高田少尉 2日免本官同8日に帰県とある。
近藤安定陸軍少尉高知県明治10年10月、鹿児島の新庁舎の建設の為出張の命を請けている。この際の肩書は陸軍省十一等出仕近藤安定。
生駒正壽陸軍中尉高知県明治4年8月に任ぜられその後 中尉に進んでいる。
7年には非職となり9年7月3日免本官。
国澤好近陸軍少尉高知県明治5年3月、御親兵八番大隊三四砲隊 国澤少尉 2日免本官同6日に帰県とある。
濱口済俊陸軍少尉高知県明治5年3月、御親兵八番大隊二番小隊付 濱口少尉 2日免本官同6日に帰県とある。
小笠原茂吉陸軍少尉高知県
戸部良茂陸軍少尉高知県御親兵九番大隊四番小隊付、明治7年の時点で非職。
吉田則俊陸軍少尉高知県
真辺正之陸軍少尉高知県御親兵九番大隊二番小隊付。
前田正澄陸軍少尉高知県明治8年の陸軍武官録に「陸軍少尉 前田正澄 高知県士族」とある。
岡崎重之陸軍少尉高知県明治8年の陸軍武官録に陸軍少尉として名が記されているがある。
近衛歩兵第2連隊第2大隊附として勤めていたようだが、兼ねてより惰性あり部下を御する事不行き届きにて自然隊中不都合有り。
として除隊の上免官の伺いを出されており、おそらく受理されたものと思われる。
大島祐範陸軍少尉高知県
田中仲稲陸軍大尉高知県明治8年の陸軍武官録で少尉として名があり、明治21年 第3師団に陸軍大尉として属していた事まで確認できる。
田所義郷陸軍少尉高知県明治8年の陸軍武官録で少尉として名がある。
岡本義健陸軍中尉高知県明治8年の陸軍武官録で少尉として名がある。西南戦争に出征し中尉に進み、戦功により勲六等に叙し金百五十圓を下賜されているがそれ以降の事績は不明。
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