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雙頂山占領の武人

江口昌条 氏名
江口昌條(えぐち まさえ)


最終階級
陸軍少将 功三級

生没年
1853年12月〜?
嘉永6年11月〜?

草創期 歩兵
江口陸軍少将 経歴


高知県士族 江口千條の子で弟には実業家で貴族院議員を勤めた江口定條がいる。
昌條の登場は西南戦争からで、別働第5旅団に軍曹として属し出征している。
戦後は東京鎮台において歩兵第2連隊に属し各大隊の小隊長を歴任。
その後中尉に進み近衛歩兵第3連隊第1大隊副官を務め明治20年頃に大尉に昇進。
第4師団副官となりこの間に少佐となる。


33年の北清事変では臨時派遣部隊で第11連隊第2大隊長として清国に派遣されている。
事変後に中佐に進み36年1月 歩兵第23連隊長となり11月大佐に進級し日露戦争を迎える。
昌條の連隊は第2軍第6師団第24旅団に属し雙頂山の戦いでは旅団長の小泉正保少将が負傷し、指揮を執ることになった旅団は見事に雙頂山を占領した。
その後、遼陽会戦に参加し首山堡の戦いで戦傷を負った。
戦後、39年2月歩兵第19連隊長、40年に少将へ進むと同時に歩兵第24旅団長に補された。
明治41年12月、予備役に編入。

日露戦争 歩兵第23連隊
2列目白服の人物の右隣が歩兵第23連隊長時の昌條

参考資料
書籍名著者出版社
人事興信録 2版人事興信所人事興信所
日露戦争実記博文館
陸海軍将官人事総覧 陸軍篇外山操芙蓉書房
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