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岐阜県出身陸軍軍人

日露戦争下 歩兵第21旅団長として参戦
塚本勝嘉 氏名
塚本勝嘉(つかもと かつよし)

最終階級
陸軍中将 従三位勲一等功二級 男爵
生没年
1847年12月27日〜1912年1月15日
弘化4年11月20日〜明治45年1月15日
<草創期 歩>

■経歴
大垣藩士 塚本勝茂の嗣子。 幕末には第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍している。
明治5年に少尉に任官し台湾出兵に続き西南戦争にも従軍し戦功をあげた。
歩兵第4連隊大隊長、近衛歩兵第2連隊大隊長など歴任後、23年には歩兵第6連隊長に就任し日清戦争で各地で戦った。
陸軍大学校長、第6師団参謀長を歴任後、30年に少将となり歩兵第21旅団長に就任。
日露戦争にも出征し第4師団長を務めた。
戦後、第9師団長となり41年に休職、翌年に後備役となった。




遼陽会戦で戦死した歩兵第34連隊長
関谷銘次郎 氏名
関谷銘次郎(せきや めいじろう)

最終階級
陸軍大佐 正六位勲五等功四級
生没年
?〜1904年8月31日
?〜明治37年8月31日
<士官生徒三期 歩兵>

■経歴
大垣藩士 関谷玄助の子として誕生。兄に地震学者、理学博士の関谷清景がいる。
陸軍大学校に入校するも教官との意見衝突により退校したが後ドイツ留学となり当地の陸軍大学で学んだ。
そのほかの経歴は不明であるが明治36年に歩兵第34連隊長に就任し日露戦争に出征。
遼陽会戦において戦死した。
ちなみに後に軍神と讃えられる橘周太中佐も関谷の連隊の大隊長として戦死した。

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