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広島県出身海軍々人

坂本龍馬の友人として知られる海軍将校
安保清康 氏名
安保清康(あぼ きよやす)

最終階級
海軍中将 正三位勲一等 男爵
生没年
1843年1月30日〜1909年10月27日
天保14年1月1日〜明治42年10月27日
<草創期>

■経歴
広島県尾道市向島出身。医師の林金十郎の四男。坂本龍馬の友人で中岡慎太郎から暗殺の状況を聞き、遺体を葬った人物として知られる。
幕末には薩摩藩に講師として招かれ同藩の海軍養成に従事し戊辰戦争の開戦となるや「春日丸」艦長として出征し東北各地を転戦した。
維新後、新政府に出仕し明治4年に陸軍中佐となるが翌年、海軍省の設置となり海軍に身を置く事にした。
海軍創設時からの重鎮として各要職を歴任し、また明治初年の佐賀の乱、征台の役、西南戦争にも参加し軍務に尽力した。
13年には少将に進みその後も文武諸官を歴任19年には主計総監を務め23年に中将に進み海大校長、佐世保鎮守府司令長官を歴任する。
27年に予備役となるが日清戦争の開戦により呉鎮守府司令長官に就任し後方の守りを担った。



日露戦争で「初瀬」艦長
中尾雄 氏名
中尾雄(なかお ゆう)

最終階級
海軍中将 正四位勲二等功三級
生没年
1856年10月10日〜?
安政3年9月12日〜不明
<海兵五期>

■経歴
広島藩士 三戸久次の二男、幼名を亀吉と云い安政3年9月12日を以て安藝國佐伯郡己斐村(現:広島県広島市己斐)に誕生した。
幼少時より同村の土井百穀に学び世が幕末の風雲を告げるや大志を抱き各地に遊学、寄宿先の同藩士 中尾雄九郎に其の才を愛され親子の如くなり遂に中尾性を名乗るに至った。
明治4年8月、海軍兵学寮に入り西南戦争には軍艦「筑波」乗組として九州に回航、陸軍の応援を成した。
11年1月オーストラリア回航から帰朝後、海軍少尉補に任ぜられ14年1月海軍少尉に進んだ。
軍艦「乾行」「摂津」「肇敏」乗組を経験後16年11月海軍中尉、「筑波」分隊長兼兵学校生徒教授として19年2月より再びオーストラリアに回航し帰朝後海軍大尉に進む。
兵学校勤務を経て20年より横須賀、呉の両鎮守府司令長官伝令吏を歴任後、呉鎮守府参謀に転じ24年9月より「千代田」分隊長、12月「海門」副長、25年10月より海軍参謀本部(翌年、海軍軍令部に改称)に勤務し26年12月海軍少佐に進級した。
■日清日露戦争
日清戦争では大本営海軍参謀官として参謀総長 有栖川宮熾仁親王の下作戦に参画、28年1月からは軍事視察の為威海衛攻撃などを観戦した。
戦後間もなく海軍中佐となり「平遠」艦長を経て31年6月海軍大佐に進んだ。
31年11月「高千穂」艦長、、32年3月台湾総督府海軍参謀、33年5月「千歳」艦長、34年3月「浅間」艦長、36年1月「三笠」艦長を歴任。
佐世保水雷団長を経て36年10月「初瀬」艦長に就任し翌年の日露戦争に出征、旅順口攻撃、旅順閉塞作戦に参加するが37年5月15日触雷し「初瀬」は沈没した。
その翌月、横須賀鎮守府参謀長を命ぜられ海軍少将に昇任し終戦を迎える。
12月には第二艦隊司令官、39年11月佐世保港務部長兼予備艦隊部長、41年8月水路部長に転じ43年12月海軍中将に昇った。
翌年12月待命となり大正元年12月予備役に編入された。

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