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鹿児島県出身陸軍軍人 弐

元警察界の大物
阪元純熈 氏名
阪元純熈(さかもと すみてる)

最終階級
陸軍中将 従三位勲二等 男爵
生没年
1843年〜1914年

<草創期 歩兵>

■経歴
明治15年に歩兵第13連隊長、以後名古屋鎮台参謀長、第3師団参謀長、第6師団参謀長を歴任。
日清戦争では留守第6旅団長を務め29年に予備役編入となった。




旅順攻囲戦 土屋11師団長の後任として攻略にあたる。
鮫島重雄 氏名
鮫島重雄(さめじま しげお)

最終階級
陸軍大将 正三位勲一等功二級 男爵
生没年
1849年10月21日〜1928年4月17日
嘉永2年8月10日〜昭和3年4月17日
<草創期 工兵>

■経歴
薩摩國川邊郡平山村(現:鹿児島県南九州市川辺町平山)に鮫島藤兵衛の次男として生まれ、幼名を藤次郎と云った。
戊辰戦争に従軍し戦功あり、明治3年薩摩藩常備隊附伍長を命ぜられる。 同年には御親兵創設となるや上京し一番大隊に編入せられ余暇には儒学を、休日には数学家桑山東作らに学び研鑽した。
6年1月教導団設立に至るや其の学芸の上達を感じた同郷の先輩である西郷従道の薦めもあり工兵科に進む。
7年3月兵学寮に入校、8年3月陸軍少尉となり東京近郊地理取調に従事した。
西南戦争が始まると野津道貫に従い征討第一旅団参謀心得として出征、田原坂の戦いに功ありその後も各地を転戦し4月には陸軍中尉に進んでいる。
戦後、東京鎮台附を経て12年3月より参謀本部管東局員に転じ北海道や朝鮮国の派遣されこの間陸軍大尉となる。
19年5月陸軍少佐に進級、陸軍大学校勤務や工兵会議議員、監軍部参謀などを歴任し22年10月陸軍中佐に進む。
近衛参謀を務め27年6月陸軍大佐、近衛師団参謀長に就任し日清戦争では北白川宮能久親王に従い台湾平定戦(乙未戦争)に参加して功を立てた。
戦後、中部都督部参謀長となり30年9月陸軍少将に進んだ。
33年4月由良要塞司令官、35年5月東京湾要塞司令官を経て日露戦争を迎える。
37年9月陸軍中将となり大本営附となっていたが第11師団長の土屋光春中将の負傷の報を受けるや後任として出征し旅順攻囲戦、奉天会戦を戦った。
戦後の39年7月第14師団長に転じ44年9月に陸軍大将に昇り後備役編入となった。昭和3年4月に薨去。




幕末〜明治に活躍した益満兄弟
益満邦介 氏名
益満邦介(ますみつ くにすけ)

最終階級
陸軍少将 従四位勲三等功四級
生没年
1849年12月2日〜1899年9月3日
嘉永2年10月16日〜明治32年9月3日
<草創期 歩兵>

■経歴
益満行充、與志子の四男として薩摩國鹿児島城下高麗町(現:鹿児島県鹿児島市高麗町)に誕生、其の家系は二階堂行綱を祖とする。
長兄行敬は長州征伐に一隊を率い鳥羽伏見の戦いに参加、次兄休之助は特に有名で勝海舟の命をおびて山岡鉄舟を西郷隆盛のもとまで無事届け江戸無血開城に導いた影の立役者であり、後上野戦争で敵弾に斃れた。 三兄行靖も戊辰戦争参加後陸軍に出仕し俊才としてその名を知られた。累進して陸軍中佐に任ぜられ明治6年ドイツに留学し参謀本部組織の取調に従事するが惜しくも11年8月病死した。
邦介はその末弟で彼自身も幕末より兄達に負けず国事に奔走、薩英戦争を始め、鳥羽伏見では激戦に身を置き銃傷を受けるが屈せず戊辰戦争東征に従い関東を転戦し上総國姉ヶ崎でも銃傷を負う。
明治4年御親兵の献上により陸軍伍長として出仕、近衛隊附となり5年1月累進して陸軍少尉に昇任。
6年11月には清国朝鮮に軍事取調として派遣されかの地の地理や風土を研究し翌年11月帰朝、参謀本部出仕となる。
8年12月には江華島事件の善後処置の為派遣された黒田清隆特命全権大使の交渉団の一員として派遣され、9年7月陸軍中尉、10年4月陸軍大尉に進み征討第5旅団参謀を命ぜられ西南戦争に出征し戦功により勲五等に叙される。
11年12月より沖縄へ出張、13年4月には再び清国に派遣され7月に帰朝する。
16年2月陸軍少佐に昇任、歩兵第9連隊第3大隊長に補され19年5月近衛歩兵第2連隊第2大隊長、23年6月参謀本部第2局局員を歴任。
24年4月陸軍中佐に進み歩兵第14連隊長に就任、27年からの日清戦争には同連隊長そして出征する。
第2軍隷下長谷川好道率いる混成旅団に属し旅順攻略に参戦、12月陸軍大佐に進み以後金州半島の守備を担った。
凱旋後、戦功により功四級に叙される。
29年9月歩兵第41連隊長、32年2月年陸軍少将に昇任し歩兵第18旅団長に就任するも同年死去した。




日露戦争 留守第24旅団長
湯地弘 氏名
湯地弘(ゆじ ひろし)

最終階級
陸軍少将 正五位勲三等功四級
生没年

<草創期 歩兵>

■経歴
西南戦争では近衛第二連隊に属し負傷している。
明治21年より参謀本部員兼陸大教官となり日清戦争開戦により出征し金州半島兵站司令官、第1師団司令部附として活躍した。
戦後、台湾守備歩兵第1連隊長、歩兵第24連隊長を歴任後、34年に予備役編入となるが日露戦争開戦により留守第24旅団長を務め戦後少将となった。

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