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熊本県出身軍人

陸軍経理組織の創設者
野田豁通 氏名
野田豁通(のだ ひろみち)

最終階級
陸軍監督総監 従三位勲二等功三級 男爵
生没年
1844年9月6日〜1913年1月6日
弘化元年12月24日〜大正2年1月6日
<経理>

■経歴
肥後國熊本春日村に石光文平、貞子の三男に生まれ幼名を大造と云った。
幼少の頃、本山村に移り15歳の頃に熊本藩士野田淳平の養子となり藩命により横井平四郎の塾で学ぶ。
戊辰戦争が始まると太政官雇士を命ぜられ太田黒参謀を補佐し函館戦争では山田顕義と共に鎮圧に功あり。
東北各地の参事などを歴任し、この頃東北の人材が藩閥の為に埋もれるのを惜しみ後援を行いこの中から後藤新平、斎藤実、柴五郎らが出た。
明治5年に陸軍兵学寮八等出仕、また兵学寮副官に任ぜられ6年7月陸軍会計軍吏となる。
7年3月会計軍吏正第5局第2課長に転じ、西南戦争勃発により会計部長や糧食課長を兼勤し功により勲四等に叙された。
第五局第八課長、会計局計算課長、会計局次長、会計局第一課長を経てドイツに派遣される。 帰国後も経理職を歴任し二十四年より会計局長、経理局長を務める。 日清戦争では、大本営野戦監督長官として出征。明治三十四年に予備役となり以後は貴族院議員として活動した。



日露戦争の名旅団長の一人
松永正敏 氏名
松永正敏(まつなが まさとし)

最終階級
陸軍中将 従四位勲二等功二級 男爵
生没年
1851年6月29日〜1912年2月18日
<草創期 歩>

■経歴
熊本藩士 松永和吉の次男。 明治六年に陸軍少尉に任官し同七年に起こった台湾出兵、十年の西南戦争に出征した。 その後も各参謀、大隊長などを歴任し対馬警備隊司令官を務める。
日清戦争では最初広島大本営付となり後に歩兵第二連隊長として出征し各地を転戦した。 戦後に第七師団参謀長、歩兵第三旅団長となり日露戦争に出征する。 戦役中に第三軍参謀長となるが重傷を負う。 戦後第三師団長、第二師団長を務め在任中に死去した。



北清事変鎮圧に野戦砲兵第5連隊長として出征
永田亀 氏名
永田亀(ながた かめ)

最終階級
陸軍少将 正四位勲二等功二級
生没年
1857年1月15日〜不明
安政3年12月19日〜不明
<士官生徒二期 砲>

■経歴
熊本城下北千反畑町(現:熊本県熊本市中央区北千反畑町)に永田安、栄子の長子として誕生する。
明治4年12月より陸軍幼年学校に入り卒業後士官学校に入校、在学中に西南戦争が始まると士官見習を命ぜられ神戸派遣される。
征討軍団附、大阪鎮台附、熊本鎮台附、広島鎮台附、丸亀営所歩兵第13連隊生兵などに転じ10年10月に帰京し士官見習を免ぜられる。
11年5月より砲兵科生徒となり、12年2月陸軍少尉に任官し12月砲兵科を卒業する。
13年2月熊本鎮台野砲兵第3大隊第1中隊附見習、4月佐賀に派遣され同中隊中央小隊長に補し、10月左小隊長に転じた。
15年4月陸軍中尉に進み広島鎮台山砲兵第5大隊第1中隊小隊長を命ぜられ16年2月には同大隊副官に補せられる。
17年5月教導団教官に補し、18年5月陸軍大尉に進み翌月砲兵第6連隊第2大隊中隊長に就任。
19年6月教導団砲兵大隊中隊長となり砲兵科下士学術検査委員、召集生徒合格者再審委員などを務め、21年1月陸軍士官学校教官に補し11月には転じて砲兵第5連隊副官に就任する。
24年3月陸軍少佐に昇任し第5連隊第3大隊長となり26年3月より下士隊外勤務志願者試験委員長を務めた。
日清戦争では野戦砲兵第5連隊大隊長として動員となり大島義昌の率いる混成第9旅団に属し成歓の戦いに参加し後、第5師団に編入となり平壌の戦いに参加し左股に銃創を負い内地に後送される。
28年1月に第1師団参謀として復帰し3月陸軍中佐となり旅順口運輸通信部部員、旅順口検疫委員、宇品運輸通信部長、宇品兵站兼碇泊場司令官などの後方勤務に従事し戦功により功四級に叙される。
明治29年10月西部監軍部参謀を務め32年1月には陸軍大佐に進み北清事変が起こると野戦砲兵第5連隊長として派遣され乱の鎮圧に当たり戦功により功三級に叙される。
34年4月第5師団参謀長となり翌35年5月野戦砲兵第5連隊長に再び任ぜられ日露戦争には同連隊を率いて出征。
戦役中の37年9月陸軍少将に昇任、野戦砲兵第2旅団長として転戦し戦功により功二級に叙される。
戦後一時休職の後40年11月に舞鶴要塞司令官として復帰した。明治43年11月に予備役編入となった。



日露戦争を歩兵第46連隊長として戦う
平井正衡 氏名
平井正衡(ひらい まさひら)

最終階級
陸軍中将 功三級
生没年
1855年〜1919年12月16日
安政元年〜大正8年12月16日
<士官生徒二期 歩>

■経歴
明治8年士官学校入校の陸士二期生である。 卒業し少尉任官後、累進する。 再び平井将軍の事跡が現れるのは明治33年で人事局補任課長となっている。
35年に歩兵第46連隊長に就任し連隊を率いて日露戦争に出征し功を立てた。
40年に少将に進み歩兵第13旅団長に就任し大正元年、予備役編入と同時に中将に昇った。

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