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熊本県出身軍人

日清戦争に於ける最初の戦死将校
松崎直臣 氏名
松崎直臣(まつざき なおおみ)

最終階級
贈従五位
陸軍歩兵大尉 正七位勲五等
生没年
1856年2月〜1894年7月29日
安政3年1月〜明治27年7月29日

■経歴
松崎次郎と岐部氏の二男に生まれ熊本市水道町から後、千反畑町37番地に移る。
幼時より父に従い文武を習い明治の初年には藩主細川侯の洋学奨励によりこれを学ぶ。
アメリカ独立戦争に大いに感ずる事あり、軍籍に身を置く事を決意する。
明治8年陸軍兵学寮に入校し9年3月少尉試補に任ぜられ翌年西南戦争が始まると征討軍に属し肥後横島の堡塁守備の任に就き、以後田原坂の激戦にも参戦し武功をあげた。
戦地にて歩兵少尉に任ぜられ12年4月戦功により勲六等に叙せらる。
13年5月歩兵中尉に進み叙従七位、戦術学生として陸軍戸山学校に学ぶ。
卒業後、歩兵第11連隊第1小隊附に補せられ軍法会議判士を兼任、21年11月歩兵大尉に進級し正七位勲五等に叙せらる。
■成歓の戦い
日清戦争では大島混成旅団に属し27年6月に渡韓、歩兵第21連隊(連隊長 武田秀山)右翼軍の中隊長として成歓の戦いに参戦。
牙山に籠る清兵駆逐の為に安城江に進み、部下を励まし対岸に上陸するも伏兵の襲撃に遭い(佳龍里の戦闘)勇戦するも敵弾頭部に中り戦死した(享年39歳)。
日清戦争最初の陸戦に於ける初の将校戦死者としてその武勇は新聞などを通し日本中に知られた。

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