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軍人史跡 丸亀

歩兵第12連隊・歩兵第112連隊跡地

歩兵第12連隊跡地
歩兵第12連隊跡地から丸亀城を眺めた景色
歩兵第12連隊跡之碑
歩兵第12連隊・歩兵第112連隊跡地之碑

◆丸亀市の中心部にはかつてこの地にあった歩兵第12連隊と歩兵第112連隊の跡地を表す碑が建てられている。
12連隊は明治8年に編成された古い連隊で萩の乱、西南戦争、日清戦争、北清事変、日露戦争などを戦った歴史ある連隊である。
43連隊、44連隊もまだ無かった明治初期の四国の青年達はこの連隊に所属し出征した。
日露戦争では旅順攻囲戦に参戦し第3軍司令官 乃木希典より、又上海派遣軍司令官 松井石根より感状が授与された。
昭和20年8月18日 敗戦により本土防衛の為に派遣されていた高知県稲生村に於いて軍旗を奉焼。
112連隊は大東亜戦争の開戦の為、昭和15年に編成された部隊である。

歩兵第12連隊碑文
平成6年 歩十二会により建立

丸亀陸軍墓地

丸亀陸軍墓地
丸亀陸軍墓地 この写真におさめられていない部分にも多数の兵卒の墓石が建っている。
丸亀陸軍墓地2
讃岐守細川頼之出陣之地跡
◆丸亀市土器町駒ヶ林には丸亀陸軍墓地が現存する。
墓地の入り口にはこの地の由来を記した石碑が建っている。
1362年7月、讃岐守細川頼之が南朝の武将細川清氏と白峰にて合戦した時、その出陣の勢揃いをこの地の松林で行い、遂に清氏を亡ぼしたことにちなみ、この地を駒ヶ林と云うらしい。
この碑の背後に広がるのが西南戦争から満州事変までの戦死者を祀る陸軍墓地である。
◆明治初期にこの地に歩兵第12連隊が編成され、それに伴いこの陸軍墓地も設置された。
その歴史は古く、ここの個人墓も明治10年付近の墓石が非常に多く見られる。
中には日露戦争で俘虜となったロシア兵、第一次世界大戦での俘虜となったドイツ兵で丸亀俘虜収容所にて没した2名の墓もある。
墓地中央に並ぶ巨大な石碑は日清戦争〜大東亜戦争までの各戦役の合葬碑、慰霊碑などである。
西側の奥には将校の個人墓が建っている。
日露戦役従軍紀念碑
日露戦役従軍紀念碑
丸亀陸軍墓地合葬之碑
丸亀陸軍墓地中央に位置する碑 右端から日清戦争、日露戦争、満州事変の合葬之碑
丸亀陸軍墓地 日清戦争戦死将校合葬碑
日清戦争戦死将校合葬碑
歩兵第12連隊日清戦争での戦死将校
陸軍歩兵少佐 半田隆時(宮城)
陸軍歩兵中尉 三宅重忠(愛媛)
陸軍歩兵中尉 浅田丹治(宮城)
陸軍歩兵中尉 柳原楠次(高知)
明治29年9月10日建立
軍用動物慰霊碑と歩兵第12連隊病死軍属軍夫合葬墓碑
軍用動物慰霊碑と歩兵第12連隊病死軍属軍夫合葬墓碑
丸亀陸軍墓地 将校の個人墓
丸亀陸軍墓地 西側奥にある将校の個人墓
〜丸亀陸軍墓地の将校個人墓〜
◆この陸軍墓地にある将校の個人墓は全部で18基ある。
最も古い物は明治12年の墓で他に数基が明治10年代のものに、北清事変、日露戦争の戦没者将校の墓が並んでいる。

陸軍歩兵大尉 大浦彦三郎

大浦彦三郎 肖像
大浦彦三郎 肖像
大浦彦三郎墓
大浦彦三郎 墓
氏名
大浦彦三郎(おおうら ひこさぶろう)
最終階級
陸軍歩兵大尉 正七位勲五等功五級
生没年
?〜1904年7月27日
?〜明治37年7月27日

≪経歴≫
香川県丸亀市平民にして大浦藤太の二男。
北清事変に出征し功あり勲六等を賜り、日露戦争に出征。
旅順攻囲戦に参加するも銃創を腹部に受け野戦病院に於いて没する。
是日 大尉に進み正七位勲五等功五級に叙し双光旭日章を賜う。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵中尉 橋本鹿之助

橋本鹿之助 肖像
橋本鹿之助 肖像
橋本鹿之助墓
橋本鹿之助 墓
氏名
橋本鹿之助
(はしもと しかのすけ)

最終階級
陸軍歩兵中尉 従七位勲五等功五級
生没年
1880年〜1904年11月27日
明治13年〜明治37年11月27日

≪経歴≫
香川県綾歌郡宇多津町の人、橋本千代吉の第三子にして明治30年9月 中央幼年学校に入り33年5月卒業。
士官候補生として歩兵第12連隊に入り、35年6月 少尉に任じ正八位に叙せらる。
日露戦争では旅順攻囲戦に参加し各所に転戦し功あり、中尉に進み従七位に叙せらる。
旅順第一回総攻撃に挑むも弾片に中り野戦病院にて息を引き取った、享年24歳。
死の間際、勲五等双光旭日章、功五級金鵄勲章を賜った。
【明治過去帳・墓碑銘 参考】

陸軍歩兵大尉 長谷川駿兒

長谷川駿兒墓
長谷川駿兒墓

陸軍歩兵大尉 正七位勲五等功五級 長谷川駿兒之墓
徳島県士族 享年三十有四
明治三十八年三月五日清國三道崗子戦死

陸軍歩兵大尉長谷川駿兒の墓は徳島市にもあり、そちらで経歴等は紹介している。
長谷川駿兒の経歴

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