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軍人史跡 愛媛県

秋山好古・秋山真之生誕地

秋山好古像
秋山好古像(歩行町)
秋山真之像
秋山真之像(歩行町)
秋山好古・真之生誕地邸内
秋山好古・真之生誕地邸内
所在地:愛媛県松山市歩行町

◆愛媛城下にある秋山兄弟の生誕地は司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の主人公らしく綺麗に復元整備され観光地となっている。
邸内に入ると早速両将軍の銅像が出迎えてくれる。
端の方には秋山好古書の各地の碑が紹介されており愛媛県内でも相当な数で当時の好古の高名振りを思わせる。
秋山兄弟産湯之井戸 邸裏には秋山兄弟産湯の井戸、好古の後輩になる陸軍大将南次郎による秋山両将遺邸之碑が建つ。
秋山両将遺邸之碑
秋山両将遺邸之碑

秋山好古・秋山真之像(梅津寺)

秋山好古像(梅津寺)
秋山好古像(梅津寺)
秋山真之(梅津寺)像
秋山真之像(梅津寺)
所在地:愛媛県松山市梅津寺町

◆松山市中心部から車で数十分程の場所にある海沿いの町、梅津寺には秋山両将軍の銅像がある。
梅津寺駅すぐ側の駐車場に車を停め見晴山なる山の遊歩道を少し登ると好古が、さらに昇ると真之の像が建っている。
両像は元々道後温泉公園内に建てられていた物だが戦時中の金属供出で撤去され台座のみ残されていたものだが昭和40年代になり再建され現在の場所に落ち着いたものであるらしい。 秋山好古像(梅津寺)2
秋山好古像(梅津寺)から見る景色
像の碑文は好古の方は同じ愛媛出身の陸軍大将 川島義之、真之には親交も深かった海軍中将 坂本俊篤から寄せられている。

陸軍砲兵大尉 関谷豁墓所

関谷豁 肖像
関谷豁 肖像
氏名
関谷豁(せきや ひろし)

最終階級
贈正五位
正七位
生没年
1866年7月26日〜1895年2月13日
慶應2年6月15日〜明治28年2月13日
<士官生徒十一期>

≪関谷豁 経歴≫
◆愛媛県温泉郡南吉田村に関谷許三郎と新野氏の二男として誕生する。
農家に生まれるも幼き頃より軍人を志し、18歳の時に松山中学に入ろうとするも父に許されず遺書を置いて家を出て松山で12年苦学した。
後には父の了解を得るに至り、松山中学を優等で卒業し陸軍士官学校に入った。
22年7月 士官学校卒業後、少尉に任じ野戦砲兵第5連隊附に補す。
25年11月 中尉に進み26年11月には首位を以て砲工学校を卒業し、選ばれて明治天皇の御前に速射砲の効用を奏上した。
陸軍大学校に合格し、入校と云う時に日清開戦となった。
27年8月 立見尚文の旅団に属し出征、11月 中隊長の池田大尉が負傷するや代わって中隊を指揮し2度も敵弾を受けたが屈せず、その勇烈は全軍の士気を発揚した。
28年1月 大尉に進みその後 戦闘中に腹部に弾を受け後送され野戦病院にて療養中に没す、享年28歳。
<伊予偉人録・明治過去帳を参考>

墓所は松山市針田町 瑞応寺にある。

関谷豁 墓
関谷豁らの眠る関谷家累代之墓
関谷豁 墓側面
関谷豁の末弟の守の名が記されている。
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