home > 都道府県別軍人 > 宮城県

宮城県出身軍人

花の梅沢旅団
梅沢道治 氏名
梅沢道治(うめざわ みちはる)

最終階級
陸軍中将 正三位勲一等功二級
生没年
1853年11月4日〜1924年1月10日
嘉永6年10月4日〜大正13年1月10日
<草創期 歩兵>
■経歴

梅沢は日露戦争では老兵でつくられた後備兵を率いた。
二流部隊と云われたこの兵の指揮を執り現役兵以上の活躍を成し「花の梅沢旅団」としてその名を轟かした。
仙台藩士 梅沢道貞の次男として生まれ戊辰戦争では仙台藩額兵隊隊士として戦い、明治二年に捕虜となり座敷牢に二年。
釈放後に兵学寮に入り明治五年に少尉任官し西南戦争に従軍し山鹿口の戦いで戦傷を受けた。
以後累進し日清戦争では兵站司令官を務め明治二十九年に歩兵第四十連隊長、日露戦争には近衛歩兵第四連隊長として出征。
戦役中に近衛後備混成旅団長となりこの旅団の抜群の働きが後の「花の梅沢旅団」として知られる。
戦後、近衛歩兵第二旅団長、四十四年に中将に昇進し第六師団長を経て大正四年に後備役編入となった。



日露戦争下 歩兵第9旅団長
摺澤静夫 氏名
摺澤静夫(するさわ しずお)

最終階級
陸軍中将 正四位勲二等功三級
生没年
1853年12月〜1942年
嘉永6年11月〜昭和17年
<草創期 歩兵>

■経歴
仙台藩士 摺澤行安の長男として嘉永六年十一月に誕生。同藩士の三好監物は叔父にあたる。
明治八年に兵学寮に入り同十年四月に少尉任官。西南戦争には小倉連隊から一個中隊を率いて参戦し植木など各地を転戦し胸と腕に戦傷を負った。
爾来累進を重ね日清戦争に従軍し台湾の地の平定に当たった。
その後、歩兵第十八連隊長、近衛歩兵第一連隊長、第七師団参謀長を経て歩兵第九旅団長として日露戦争に出征している。
戦後、台湾第二守備隊司令官、歩兵第十五旅団長を歴任し四十四年九月に中将に進むと同時に後備役となった。



日露戦争 高知歩兵第44連隊長として出征
石原盧 氏名
石原盧(いしはら いほり)

最終階級
陸軍少将 功四級
生没年
不明
<草創期 歩兵>

■経歴
明治三十一年より高知の歩兵第四十四連隊長に任命され日露戦争に出征し旅順など激戦下で指揮を振るった。
戦役中に歩兵第二十六旅団長心得となるが戦後すぐの明治三十八年十二月二十七日には少将に進級と同時に予備役に編入されている。



日露戦争での作戦立案を担当した陸軍の秀才
松川敏胤 氏名
松川敏胤(まつかわ としたね)

最終階級
陸軍大将 正三位勲一等功二級
生没年
1859年12月2日〜1928年3月7日
安政6年11月9日〜昭和3年3月7日
<士官生徒五期 歩兵>

■経歴
仙台藩士 松川安輔の長男。 陸軍士官学校、陸軍大学校卒業し陸軍大学校の教官などを務めた。
日清戦争時にはドイツ留学中であり戦役末期に帰国し第二軍参謀の任に就いた。
明治三十二年ドイツ公使館附、帰国後、参謀本部第一部長兼東部都督部参謀長に就任。
日露戦争開戦により満州軍参謀として出征し数々の作戦を立案した。
戦後は歩兵第六、第二旅団長を経て中将に昇進し第十師団、第十六師団の師団長、東京衛戍総督、朝鮮軍司令官などを歴任。
大正七年に大将に昇り軍事参議官を務め大正十二年予備役編入となった。

inserted by FC2 system