home > 土佐軍人列伝 > 村木雅美

皇族の信頼篤き将軍

村木雅美 氏名
村木雅美(むらき まさみ)


最終階級
陸軍中将 正三位勲一等功四級 男爵

生没年
1856年11月15日〜1923年2月8日
安政3年10月18日〜大正12年2月8日

士官生徒二期 砲兵
村木陸軍中将 経歴

土佐国安芸郡田野村(現:高知県安芸郡田野町浜田)にて郷士 村木保美の長男として誕生。
郷里の田野学館で文武両道を学び13歳の頃に志を立て高知に出て寺に下宿しながら学問に励み土佐兵学校に入学した。


明治4年 谷干城の推薦により上京し陸軍士官学校に入学。
11年 士官学校を優等で卒業し恩賜の望遠鏡を授けられた。
翌年に陸軍砲兵少尉に任官。
13年にはフランス留学となり留学中に中尉、帰国後に大尉と順調に昇進。
間もなく、伏見宮貞愛親王に従い欧州各国を巡りイタリアでは皇帝より銅製の御尊像を賜っている。
帰国後から陸軍士官学校教官、陸軍省副官兼秘書官、第五5師団兵站監、陸軍省軍務局砲兵課長などを歴任。
秘書官として仕えた大山巌の知遇を得て栄進していった。
明治24年 後のロシア皇帝ニコライ二世が来日の際は接待役も務めている。


日清戦争には参謀本部附砲兵少佐で山縣有朋の幕僚として出征し九連城、梨子園の戦いなどで戦功を上げた。
この時の戦友 福島安正、上原勇作らと共に朱椀を腰に付けて水呑としていたので朱椀組といって有名だった。
凱旋後 戦功により功四級金鵄勲章を賜る。
中佐、30年10月 大佐と順調に進み34年2月 少将に進級とともに東宮武官長を拝命し後の大正天皇の御側でよく仕えた。
日露戦争では出征軍人への聖旨を奉じて満州に渡りその大任を果たしている。


39年7月 中将に昇り40年9月 日露戦役の功により男爵を授爵し華族となった。
また東宮大夫に親任され武官長と兼任した。
大正元年 予備役に編入となり3年に貴族院議員に勅撰され、竹田宮、東久邇宮の宮務監督を歴任。
明治天皇、大正天皇及び皇后、皇族からの信頼厚く多くの恩賜品を戴いている。
また山内家顧問となりいろいろ相談をあずかった。
大正12年 直腸癌にかかり赤十字病院にて療養するも2月8日没した。享年67歳。
特旨を以て正三位に叙し、葬儀には勅使を遣わされ各皇族より玉串御榊等を賜った。

その人となり真面目で温厚謹直言葉少なくみだりに喜色を現さず、礼儀正しく稀にみる人格者として周囲は敬服していたと云う。
妻 菊猪とは子が無く弟 村木繁枝の三男 雅枝(陸軍歩兵中尉)を養嗣子とした、また雅枝の妻 フクは陸軍大将 宇都宮太郎の娘である。


参考資料
書籍名著者出版社
現代陸軍名将列伝国民軍事教育会国民軍事教育会
高知県人名事典「高知県人名事典新版」刊行委員会高知新聞社
大正過去長 物故人名辞典稲村徹元ほか東京美術
田野町史田野町田野町
土佐偉人伝寺石正路富士越書店
日露戦争実記博文館
陸海軍将官人事総覧 陸軍篇外山操芙蓉書房
inserted by FC2 system