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軍人史跡 野市町

武田秀山墓所

武田秀山墓所 所在地:高知県香南市野市町東野
武田秀山の墓は祖先の香宗我部秀通と同じく松を植えて墓標としたが昭和四十六年台風の為に倒れ、現在は石の標柱が建てられている。
右の奥に見える石碑は明治二十六年に秀山が建てた秀通の碑。
武田秀山碑 武田秀山之碑
(碑文)陸軍編修従五位勲四等 横井忠直 撰
秀山の妻花枝(無著尼)が郷土有志と共に建立した。

杉村守殖墓所

杉村守殖
陸軍歩兵中尉 杉村守殖肖像

杉村守殖(すぎむら もりたね)
{最終階級}陸軍歩兵中尉 従七位勲六等功五級
{生没年}明治14年〜明治37年8月24日


≪経歴≫
高知県香美郡野市佐古村17士族にして父は泰治(守任)と云う。
軍人を志し海南学校に入学、明治31年陸軍中央幼年学校に入り34年少尉候補生に任ぜらる。
36年歩兵少尉に任じ高知44連隊小隊長に補せらる。
37年日露の役起こるや旅順攻囲戦に加わり転戦、8月第一回総攻撃に於いて左翼隊となり24日暁に盤龍山に突撃する。
守殖は部下を率い砲台に突撃するも下半身銃弾の為に立つ事できず、「無念」と幾度も叫び遂に軍刀で自決を図るも再度の砲弾片により上半身を粉砕せられ壮烈なる戦死を遂げる(享年23歳)。
即日歩兵中尉に任じ功五級金鵄勲章、勲六等單光旭日章を授けらる。

◆香南市野市町にある高知県立のいち動物公園の手前に墓地があるのだが、この墓地の最も高い位置に建てられているのが「陸軍歩兵中尉従七位 杉村守殖墓碑」である。
石段の上に建てられた墓の建立者は父杉村守任。
墓裏には守殖の経歴が彫られているのだが経年と苔の為にかなり読みにくい。
下二段には杉村姓の墓がずらりと並びその中には父守任の墓もあることから一族の墓所であると思われる。

杉村守殖墓
杉村守殖の墓は立派な石段の上に
杉村守殖墓
陸軍歩兵中尉従七位 杉村守殖墓碑
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