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奥宮正勝
奥宮正勝(おくみや まさかつ)



陸軍歩兵少佐 従五位勲四等功四級


1847年12月17日〜1900年5月1日
弘化4年11月10日〜明治33年5月1日

奥宮歩兵少佐 経歴


土佐國土佐郡築屋敷にて土佐藩留守居組の父 奥宮喜三郎と母 伊藤氏の子として誕生する。
幼時より古今東西英勇の忠孝烈士の物語を父母より聞き、文武を学び又好んで父の漁猟に随行した。
その後、藩校「致道館」に学び維新前夜の争乱には常に藩兵として渦中に身を置いた。
明治4年6月新政府による御親兵の設立に伴ない土佐藩第2大隊第1小隊教導役を以て上京し御親兵9番大隊附となり、次いで一番小隊軍曹を拝命する。
5年3月より教導団歩兵科に入り翌年11月卒業、7年4月軍曹、次いで曹長、少尉に累進し8年6月には正八位に叙せらる。
10年の西南戦争では教導団歩兵第1大隊第3中隊第2小隊長として征討軍に編入され各地に転戦し6月陣中中尉に進む。
12年には戦功により金三十圓を賜り従七位に叙せらる。 歩兵第8連隊第2大隊小隊長に転じ18年5月大尉に進み7月叙正七位、20年5月勲六等單光旭日章、25年4月従六位、27年5月勲五等瑞賓賞をそれぞれ叙賜せらる。
また、21年頃より歩兵第6連隊第1大隊中隊長に補され在職中に日清開戦となり動員され9月11日朝鮮國元山に上陸する。


10月24日正勝所属の第3師団隷下歩兵第6連隊は闇に乗じ鴨緑江を渡り25日の夜明けと共に敵塁に砲撃後突撃で虎山を占領、敗兵を追撃して靉河にまで進んだ時敗兵を吸収した9000余りの清兵との激戦になるもこれを撃退する。 その後残兵の攻撃に遭いながらもこれを駆逐し進軍、海城占領に貢献する。
12月19日厳冬の下日清戦争最大の戦闘と云われる缸瓦寨の戦いに参加、この戦いの後深雪にさらされ続けた脚は凍傷に罹り数十日病床についた。
28年1月より幾度となく迫る清軍より海城防戦の任にあり貢献、2月歩兵少佐に進級し歩兵第6連隊第3大隊長に補せらる。
3月31日第5師団指揮下に転じ鞍山站守備隊長を命ぜられ任に就き終戦を迎えた。
戦功により功四級金鵄勲章、年金五百圓及び双光旭日章を賜る。
32年病の為に辞職し翌33年5月に没、享年54歳。
墓所は高知市の丹中山にある。


参考資料
書籍名著者出版社
征清武功鑑 七編国乃礎社
日清戦争 秘蔵写真が明かす真実檜山幸夫講談社
明治過去長 物故人名辞典大植四郎東京美術
明治肖像録藤野彦次郎明治館
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