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軍人史跡 旅順

旅順港・白玉山

旅順港 旅順
白玉山から見た旅順港。
天気も良く綺麗に旅順港を見る事ができた。
今から110年程前にここで旅順閉塞作戦などの壮絶な戦いが行われていたんだと先人を偲ぶ。


白玉山塔(表忠塔)
東郷平八郎と乃木希典により日本兵慰霊の為に建てられ 日本統治時代には表忠塔と呼ばれていた。
白玉神社説明板 白玉神社説明板2
その向かいには旅順海軍兵器館なる場所があるがその敷地はかつての白玉山神社の場所で 日本兵の納骨祠があった。
現在は説明板とその祠が残っているのみであった。
表忠塔

東鶏冠山北堡塁

東鶏冠山北堡塁 東鶏冠山北堡塁之碑
東鶏冠山北堡塁
旅順の最強三大要塞の一つとして日本軍に立ちはだかった。
第十一師団傘下の高知出身の竹内正策ひきいる後備歩兵第四旅団により占領。
碑銘は陸軍大将鮫島重雄の書
コンドラチェンコ之碑 露國コンドラチェンコ少将戦死之所
東鶏冠山には勇将コンドラチェンコの碑があるが実際に戦死した場所とは少し違う場所にあるようだ。

望台砲台

望台 望台砲台
ここには本物のロシアの砲台がそのまま残っている。

盤龍山西堡塁

盤龍山西堡塁 盤龍山西堡塁
碑名は高知出身の陸軍中将竹内正策の書。 舗装もされてない道の先のリンゴ畑内にあり家が一軒。
そこの犬に吠えまくられる事は間違いない。
そのためか?観光客などは来る事は無いらしい。

盤龍山北堡塁

盤龍山北堡塁 盤龍山北堡塁
碑銘は一戸堡塁でも有名な陸軍大将一戸兵衛
こちらも中国人の墓所となっている場所にあり訪れる人はいないらしい。

二龍山堡塁

二龍山堡塁碑 二龍山堡塁



二龍山堡塁
旅順の三大最強要塞の一つ。
碑銘は高知出身で第十一師団参謀として日露戦争に出征した陸軍中将山田良水
かなり巨大な碑で、これが現代まで残っている事に感激します。
碑の前方にはコンクリートに刻み込まれたロシア文字が無数にあります。(日露戦争当時の物かはわかりませんが)
ロシア人の落書き

松樹山堡塁

松樹山第四砲台 松樹山第四砲台
中村覚率いる白襷隊が全滅した場所。
ここは展望台のように整備されていましたが我々以外に人はいませんでした。
碑銘はもちろん陸軍大将男爵中村覚である。




松樹山堡塁 松樹山堡塁内
松樹山堡塁
松樹山堡塁の方は観光地化されているのか広い駐車場におそらく観光者向けの大砲が備え付けられているがもちろん偽物。
堡塁の方にもところどころに説明板が設置されているがやはりいるのは我々だけでした。
頂上には碑も残っている。
碑銘は第四砲台の碑と同じく中村覚の書。
松樹山堡塁碑

高崎山

高崎山 今回の旅では近くまで行く事ができなかったので遠くから写真に収めてみた164高地こと高崎山である。
遠くからでも山の頂上の碑が肉眼でもしっかりとわかる。二龍山、東鶏冠山クラスの碑だ。
二十八サンチ砲はここから放たれ203高地攻略の大きな役割を果たした。
ちなみに写っているいる中国の国旗は大連から旅順までの間いたるところではためいていた。

椅子山堡塁

椅子山堡塁 椅子山堡塁
山地元治の列伝に写真を掲載しているがこの山に独眼龍山地も立ったのかと思うと感動。
椅子山堡塁内部 内部には「大正…、昭和二年…、大日本」などの落書きがあり 戦前の日本人の戦跡巡りの名残がみられる。
が近い将来安全性の為天井部をコンクリートで固められるかもしれないとの事でこれらの落書きは見る事ができなく なるかもしれない。

大案子山堡塁

大案子山堡塁 大案子山堡塁
舗装もされていない山道を登るとたどり着く。
背後にある椅子山堡塁を眺められる。
大案子山堡塁正面 堡塁の一部には小さな畑が作られており鍬を持ったおじさんが歩いていた。

小案子山砲台

小案子山砲台 小案子山砲台

小案子山落書き ここにもキリル文字が!砲台内部にも一か所発見した。
もちろん当時のものかは不明だが。

203高地

爾霊山碑 203高地(爾霊山之碑)
おそらく大連あたりの観光ならここには間違いなく来るのではないでしょうか。 乃木希典の漢詩と木「爾霊山」の文字のすぐ隣に書かれていた「陸軍大将乃木希典書」 の文字は取り払られている。
乃木保典戦死ノ所碑 乃木保典戦死の地(本物)
203高地にある乃木保典戦死ノ所の碑
現在碑の建ってる場所は実は一度碑が倒された後に元あった場所から移されたもので、 実際にあった場所は土産物屋の西側にある塀の下あたりになるらしい。
今もかつての碑の土台(写真右)が倒されたまま放置されている。

老虎溝山(赤坂山)
みやげもの屋の横に登山路があり少し登ればたどりつく。
しかし爾霊山の碑とは目と鼻の先なのになぜここも観光地に入れないのか不思議だ。
老虎溝山

水師営

水師営会見所 水師営会見所
乃木大将とステッセルの会見で有名な場所であるが、ここはどうやら本当にあった場所では無いらしい。
実際の会見所はこの場所から数十メートルほど行くとピンク色のマンションらしき建物が建っている所に あったとの事。
水師営会見所の碑などが端の方に並べられていたがこれは本物なのかはわからない。
水師営之碑

旧コンドラチェンコ邸

旧コンドラチェンコ邸 日露両軍でも屈指の名将として名高い陸軍少将コンドラチェンコが旅順にかまえていた邸宅 は現在も残っていた。

旧ステッセル邸

旧ステッセル邸 旧ステッセル邸
かつてのステッセル邸で現在は中国軍の所有地。
こっそりと写真をとらせてもらった。
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