軍人史跡 四万十市
吉松茂太郎生誕地・書碑
![]() 吉松海軍大将の書碑 |
所在:高知県四万十市百笑町 赤鉄橋前 四万十市に架かる赤鉄橋は昭和初期に完成。全国的にも画期的な大鉄橋だった。 この完成当時、地元出身の吉松茂太郎海軍大将が寄せた書。 |
![]() 吉松茂太郎生誕地(天神橋商店街内 旧南理髪店付近) |
さらに四万十市の図書館にて<中村市史>を読んでみると吉松茂太郎生誕地について「現在の南理髪店付近」との情報を得てその場所まで行ってみた。 中心地天神橋商店街内の一条神社に近い場所、現在南理髪店は存在しなかったが現地協力者の情報でこの場所が吉松茂太郎生誕地だと特定できた。 当然石碑などもなく商店街内の店を撮影するしかなかったのではあるが… |
島村速雄書碑
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島村速雄の書碑 従四位樋口先生記念碑 所在:高知県四万十市 幕末の土佐西部勤王志士の首領である樋口真吉の記念碑 |
中村忠魂墓地(野安多魯男墓所)
![]() 古い石柱には忠魂墓地の文字が見える。 |
四万十市の検察庁近くの史跡に山内良豊の墓がある。 良豊は山内一豊の弟康豊の二男で中村領主、その治政下では民心をよく収めたがわずか三十二歳で没した人物である。 この墓所入口に忠魂墓地の字が見えるがこの良豊の墓所を登っていくと広がるのが中村忠魂墓地である。 ![]() 山内良豊墓所 周囲には関係する墓なのであろうが無造作に立てかけられている。 ここまでの道は比較的綺麗にされているが墓所の方は人が訪れている気配は無いようだがいったいどうなっているのだろう。 |
![]() 中村忠魂墓地 日露戦争から大東亜戦争までのこの地出身の英霊が眠る。 |
この一番奥の方にある最も大きな墓石が寺石正路著「土佐偉人傳」にも紹介されている「陸軍歩兵大尉 従七位勲六等功五級 野安多魯男墓」である。 各面には経歴を記した漢文がしっかりと彫られている。 |
![]() 野安多魯男墓 |
≪野安多魯男 略歴≫ 幡多郡中村町の人。父駒助、母宮崎氏は早くに没す。 弱冠にして陸軍士官学校に入り22年陸軍歩兵少尉に任じ鯖江36連隊小隊長に補せらる。 34年清国に渡航し太沾駐屯隊に在役し数月にして帰る、次いで中尉に昇進する。 日露戦争起こるや旅順攻囲軍に加わり第9師団に属し7月27日より老座山、案子山、干大山に転戦し功あり。 8月19日第一回総攻撃に於いて一中隊を率いて水師営東北に向かい「クロパトキン」砲台を陥とさんと明け方より開戦し午後3時より突撃する。 鉄条網を破り塁前まで進むも雨の如く降り注ぐ敵弾に中り壕中に斃れる。 享年32歳即日大尉に進み勲六等單光旭日章、功五級金鵄勲章を給はる。 妻子無く弟作郎が家を継いだ。 【寺石正路著・「土佐偉人傳」参考】 |