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静岡県出身海軍々人

日本造船の父
赤松則良 氏名
赤松則良(あかまつ のりよし)

最終階級
海軍中将 従二位勲一等 男爵
生没年
1841年12月13日〜1920年9月23日
天保12年11月1日〜大正9年9月23日
<草創期>

■経歴
幕臣吉沢雄之進の子で後に祖父の赤松良則の後を継ぎ赤松姓となった。東京生まれ。
長崎海軍伝習所で学び、万延元年には日米修好通商条約批准書交換の使節団として咸臨丸で渡米する。
文久元年にはオランダに留学し運用術、砲術、造船学などを学ぶ。
大政奉還を知って帰国。
維新後は海軍に出仕し海軍の要職を歴任した。明治二十六年予備役編入となり以後は貴族院議員などを務めた。



露国防護巡洋艦「ヴァリャーグ」の引き上げに見事成功
新井有貫 氏名
新井有貫(あらい ゆうかん)

最終階級
海軍中将 正四位勲二等功四級
生没年
1849年12月24日〜1909年12月1日
嘉永2年11月10日〜明治42年12月1日
<草創期>

■経歴
幕臣 新井徳三郎と母 清水氏の三男として江戸に誕生、旧名を鐘吉と称した。
幕末には江戸幕府御船方を勤務し維新後の明治4年12月海軍兵学寮十三等出仕となり、翌5年3月海軍少尉に任官。
6年3月清国沿岸を回航し帰朝後、海軍中尉に進み7年6月兵学寮出勤となり翌年サンフランシスコに回航する。
10年2月には西南戦争の為、九州に回艦し12月には海軍大尉に進級となり戦役の功により勲六等に叙される。
11年1月オーストラリア回航、2月海軍少佐に昇任し「筑波」副長に補され4月より北米、南米を回航。
18年2月「日進」艦長に補され19年4月海軍大佐に進み「海門」艦長に補された。
20年5月より艦隊戦闘方法演習調査員も務め、21年6月「扶桑」艦長に転じ22年5月には横須賀鎮守府予備艦総理兼航海部長に転じた。
またこの年より横須賀鎮守府軍法会議判士、海軍下士卒被服制及び被服給与法改正調査委員などを務め、23年1月「千代田」艦長に転じ同艦の回航委員長としてイギリスに出張し無事艦と共に帰朝する。
帰朝後に「浪速」艦長に転じ25年呉鎮守府予備艦部長兼知港事に補され27年6月「扶桑」艦長となり日清戦争を迎える。
戦役では陸軍運送船の護衛などに従事し黄海海戦、威海衛攻撃にも参加し戦功により功四級に叙される。
28年11月横須賀鎮守府予備艦部長兼知港事、30年10月横須賀軍港部長を歴任し、31年5月海軍少将に昇任した。
33年5月横須賀港務部長となり35年7月より休職となるが37年日露開戦により2月より大本営附として復帰し、戦利品となった沈没した露国防護巡洋艦「ヴァリャーグ」の引き上げに見事成功するなどの功績を残した。
38年9月海軍中将に進み39年12月休職、40年2月に予備役編入となりその2年後の42年12月に没した。

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