home > 軍人史跡 > 台湾北部

軍人史跡 台湾北部

台湾総督府

台湾総督府 ◆現在も台湾総統府として台湾政治の中枢として機能している。
一階は観光の為に開かれており総統府の歴史を紹介してくれる。
日本ではほとんど知る人もいないであろう五代目の総督佐久間左馬太の話しや、最期の総督となり 自決した安藤利吉につても「かわいそうだった」などの感想を漏らす案内の台湾の方にすごく親近感 が湧く。
台湾はまぎれもなくなく親日国だった。

明石元二郎旧墓跡

明石元二郎墓所跡之碑 ◆芝生の中に見える石碑が「日本明石総督旧墓跡」の碑。
現在は林森公園と言うらしい。
日本統治時代にここは明石元二郎を祀る明石神社があり日本人共同墓地が広がっていったが、 日本時代が終わり中国国民党軍が台湾に入ると墓地に住み始め神社付近は共同便所にされていたらしい。
その後1997年に公園として整備され、整備の際に発見された日本人の遺骨などは台中の宝覚禅寺に埋葬された。
明石総督の遺骨も三芝と云う所に埋葬されている。

明石総督・乃木大将母堂の墓前にあった鳥居

明石総督、乃木大将母の墓前の鳥居 明石総督、乃木大将母の墓前の鳥居
◆明石元二郎墓所跡之碑の場所に日本人共同墓地時代にあった明石神社の鳥居と乃木希典の母堂の 墓前に建てられていた鳥居である。 公園に整備される際に発見され二二八公園に説明板付きで保存されていた。

六士先生之墓

六士先生之墓 学務官僚遭難之碑

◆芝山巌の六士先生之墓と伊藤博文書の学務官僚遭難之碑
かつて日本外で初めて学校が建てられた場所で芝山巌神社のあった場所でもある。
(芝山巌事件)
統治当初の抗日運動が続く危険の中「身に寸鉄を帯ずして住民の群中に入らぬば、教育の仕事はできず」 と死を覚悟の上で授業を続けろ教師達がいた。明治二十九年元旦、抗日の不穏な動きを住民より忠告を受けていた 六人の教師達だったがその教育精神で学堂にとどまり100人もの襲撃者を相手に教育者として説得にあたったが ついに殺されてしまった。
現在、有志により六士先生の墓が建てられている。

inserted by FC2 system