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和歌山県出身軍人

日露戦争下 歩兵第9旅団長
山田保永 氏名
山田保永(やまだ やすなが)

最終階級
陸軍中将 正四位勲二等功三級
生没年
1850年9月13日〜1932年12月6日
嘉永3年8月8日〜昭和7年12月6日
<草創期 歩>

■経歴
山田甚五右衛門の長男で維新後に陸軍に出仕し、明治5年に少尉に任官。
西南戦争に出征後、歩兵第12連隊大隊長、参謀本部管東局員、参謀本部第2局員、歩兵第1連隊大隊長、第四師団副官、陸軍省軍務局第二軍事課長、陸軍省副官を歴任。
26年、歩兵第2連隊長に就任し日清戦争では第2軍副官として従軍している。
近衛歩兵第4連隊長を経て少将に進むとともに歩兵第7旅団長に就任。
以後は台湾守備混成第3旅団長、歩兵第9旅団長の時に日露開戦により出征するが戦役中に留守歩兵第12旅団長、第13師団兵站監に就任。
樺太に出征し樺太守備隊司令官を務めた。
39年に予備役編入。長男に陸軍中将 山田良之助がいる。



歩兵第20旅団長に就任し日露戦争に出征
丸井政亜 氏名
丸井政亜(まるい せいあ)

最終階級
陸軍少将 正四位勲二等功四級
生没年

<草創期 歩>

■経歴
明治5年に中尉任官。西南戦争に従軍している。
以後累進し日清戦争には金州半島兵站司令官を務め戦後歩兵第5連隊長、台湾守備歩兵第3連隊長、歩兵第30連隊長、歩兵第27連隊長、歩兵第1連隊長を歴任。
5回もの連隊長転任の後36年に少将へと進むとともに歩兵第20旅団長に就任し日露戦争に出征する。
戦役中に後備歩兵第16旅団長も務めた。
戦後、歩兵第25旅団長に転任し42年に休職。
そのまま後備役編入となった。



日露戦争 第1軍工兵部長として出征するが遼陽で死去
児玉徳太郎 氏名
児玉徳太郎(こだま とくたろう)

最終階級
陸軍少将 正四位勲二等功三級
生没年
1856年6月24日〜1905年10月27日
安政3年5月22日〜明治38年10月27日
<草創期 工兵>

■経歴
明治8年に少尉に任官し西南戦争に第1旅団に属し出征、戦傷を負っている。
日清戦争では運輸通信長官部参謀や臨時鉄道隊長を務めた。
戦後より工兵会議審査官、対馬警備隊司令官を経て、陸軍少将に進み工兵会議議長、陸軍築城部本部長を歴任する。
日露戦争には第1軍工兵部長として出征するが戦後間もなく遼陽で没した。



台湾平定戦で近衛騎兵連隊を率いる
渋谷在明 氏名
渋谷在明(しぶや ざいめい)

最終階級
陸軍中将 従三位勲二等功三級
生没年
1856年7月15日〜1923年12月14日
安政3年6月19日〜大正12年12月14日
<士官生徒二期 騎兵>

■経歴
和歌山藩士 渋谷在質の子として東京青山百人町の松平邸に生まれ幼少より文武を修め、特に馬術を得意とした。
明治8年陸軍士官学校に入り在学中に西南戦争が起こると見習士官として神戸に派遣される。
士官学校卒業後、12年2月陸軍少尉に任官し翌13年6月東京鎮台騎兵第1大隊小隊長、7月同第1中隊第3小隊長に補し14年10月教導団騎兵隊附、翌年10月には同第3小隊長に転じた。
16年2月陸軍中尉に進み参謀本部伝令吏に就き17年2月陸軍大学校入校、修学の為歩兵第1連隊附、参謀本部陸軍部、近衛砲兵連隊附などを経験し在学中の19年6月には陸軍大尉、同12月卒業に際し学術優等により双眼鏡を賞賜される。
20年1月参謀本部陸軍部第2局課員、同月同第2課附、21年5月参謀本部第2局々員、22年11月には参謀官心得として東宮武官に転任し熱海行啓、箱根行啓などに供奉する。
また乗馬学校御用掛を兼務し24年11月陸軍少佐に昇任、騎兵監副官に就任する。
25年には2月将校生徒試験委員を兼ね、同月中に第六師団特命検使、4月近衛騎兵大隊長、5月近衛将校飼養馬匹事務取扱委員長と各職を歴任。
■日清日露戦役
翌年は各地での演習に出張を重ね28年1月陸軍中佐に進み日清戦争では講和後の台湾平定に近衛騎兵連隊長として出征、戦功により功四級を叙賜される。
30年10月陸軍大佐に進み33年4月騎兵第15連隊長、34年2月陸軍騎兵実施学校長、同年11月には陸軍少将に昇任し騎兵第1旅団長に就任した。
36年4月騎兵監を経て日露戦争には第一軍兵站監として出征し戦功により功三級に叙される。
39年2月輜重兵監、大正3年8月に予備役編入となりその後、宮内省主馬頭、宮中顧問官を務めた。

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