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山口県出身陸軍々人 壱

陸軍草創期には山縣の後継者として栄達を約束される
鳥尾小弥太 氏名
鳥尾小彌太(とりお こやた)

最終階級
陸軍中将 正二位勲一等 子爵
生没年
1848年1月10日〜1905年4月13日
弘化4年12月5日〜明治38年4月13日
<草創期>

■経歴
長州藩士 中村敬義の長男として萩城下川島村に生まれる。
幕末には奇兵隊に入隊し長州征伐で戦い戊辰戦争では鳥尾隊を率いて戦功を上げた。
維新後は陸軍少将として陸軍に出仕し建軍期の要職を務めた。
明治十四年に三浦梧楼、谷干城、曾我祐準らと開拓使官有物払下げ事件への抗議の上奏。
これにより山縣有朋ら陸軍の主流派に陸軍を追われた。
その後貴族院議員、枢密顧問官など歴任。
墓所は兵庫県加古川市加古川町寺家町光念寺にある。




観樹将軍
三浦梧楼 氏名
三浦梧楼(みうら ごろう)

最終階級
陸軍中将 正二位勲一等 子爵
生没年
1847年1月1日〜1926年1月28日
弘化3年11月15日〜大正15年1月28日
<草創期>

■経歴
萩に生まれ明倫館で学んだ後、奇兵隊に入隊して第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍。 維新後、明治4年兵部少丞として政府に出て兵部権大丞、鎮台創設にともない東京鎮台司令長官となる。
萩の乱には広島鎮台司令長官として平定に当たり翌年の西南戦争には第3旅団司令長官として出征し鎮圧に当たった。
戦後は西部監軍部長、陸軍士官学校校長を務め欧州に兵制視察に赴く。
帰国後、東京、熊本の鎮台司令長官歴任後の明治21年予備役に編入された。 明治14年の四将軍上奏事件以後は山縣ら主流派により陸軍に身の置き場所は無かったとされる。
28年の閔妃事件では首謀者として入獄するが無罪で釈放後は政界の元老として藩閥打倒を主唱した。




西南戦争 征討第2旅団長
三好重臣 氏名
三好重臣(みよし しげおみ)

最終階級
陸軍中将 正二位勲一等 子爵
生没年
1840年11月14日〜1900年11月18日
天保11年10月21日〜明治33年11月18日
<草創期>

■経歴
奇兵隊に入隊して参謀職を務め戊辰戦争では振武隊総監として各地を転戦した。
維新後は大佐として陸軍に入り東北鎮台司令長官、仙台鎮台司令長官、大坂鎮台司令長官を歴任し、西南戦争が始まると征討第2旅団司令長官として出征し負傷している。
戦後も各地鎮台司令長官に任命され師団に改正後は第1師団長に就任、監軍、枢密顧問官を務め明治27年に予備役に編入された。




奇兵隊出身者 佐賀の乱、西南戦争に功あり
滋野清彦 氏名
滋野清彦(しげの きよひこ)

最終階級
陸軍中将 従三位勲一等 男爵
生没年
1846年3月5日〜1896年9月16日
弘化3年2月8日〜明治29年9月16日
<草創期>

■経歴
長州藩士 真弓田信眞の長男。奇兵隊に入隊し長州征伐、戊辰戦争に従軍する。
維新後、陸軍に出仕し佐賀の乱に佐賀征討総督幕僚参謀として出征。
西南戦争では征討総督本営参謀を務めている。
その後は名古屋鎮台司令官や歩兵第4旅団長、陸軍士官学校長、将校学校監など歴任後予備役となるが日清戦争が始まると留守近衛師団長に任命された。




日清戦争 歩兵第23連隊長として威海衛攻略に貢献
岡村静彦 氏名
岡村静彦(おかむら しずひこ)

最終階級
陸軍中将 従三位勲二等功四級
生没年
1848年2月13日〜1926年7月1日
嘉永元年1月8日〜大正15年7月1日
<草創期 歩兵>

■経歴
長門國阿武郡萩城下(現:山口県萩市)に長州藩士岡村丈平と歌子の間に誕生、幼名を省三と云う。
京の叔父岡村熊七に学び文久3年攘夷警備の為馬関に出張し馬関戦争に参戦し上陸戦に於いても大いに奮戦し功により藩公より賞典を授与される。
次いで川上彌一に従い豊前田の浦に渡り攘夷警備に当る。
元治元年久坂玄瑞等同士を集め八幡隊を結成するやこれに加わり禁門の変に参戦し柳馬場、鷹司邸付近に於いて幕府軍と激戦する。
辛うじて帰藩し一時病を患うも慶應2年四境戦争が始まるや豊前小倉に渡り石原町、呼野などを転戦し香春を占領する。
明治元年には禁闕守衛の任にあり幕兵と戦い後 中納言西園寺公望に従い丹波、丹後、但馬、因幡等各地に出張し庶民鎮撫に当たる。
■明治維新後
2年に長州藩常備軍を編成するや第1大隊3番中隊小隊長を命ぜられるも兵の不満脱走により瓦壊し脱走兵暴動(山口県脱退兵暴動事件)に至るや1番中隊教導役を命ぜられ鎧峠、三田尻、江原峠、山口に転戦しこれを鎮定した。
3年10月藩を出て陸軍に出仕し累進して二等軍曹となり4年8月陸軍少尉となり12月には陸軍大尉に進んだ。
近衛や仙台鎮台附をへて10年の西南戦争では7月より征討軍団編入となり日向、大隅、薩摩等を転戦し11年6月功により勲五等に叙される。
12年3月陸軍少佐に昇任し歩兵第2連隊第2大隊長となり16年2月歩兵第3連隊第2大隊長、17年6月歩兵第2連隊第2大隊長を経て18年5月陸軍中佐に進み歩兵第6連隊長に補された。
19年5月歩兵第23連隊長に転じ24年7月陸軍大佐に進む。
27年日清戦争では第6師団に編入となり威海衛の攻略に貢献し戦功により功四級に叙された。
29年10月陸軍少将に昇任し歩兵第4旅団長に補され32年3月歩兵第3旅団に転じ翌年33年4月休職となる。
37年日露開戦となるや5月留守第6師団長兼歩兵第11旅団長として復帰し師団補充の任に当たった。
39年3月後備役編入となり大正15年7月に病没した。

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