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血染めの連隊旗

安村範雄 氏名
安村範雄(やすむら のりお)


最終階級
陸軍少将 正五位勲三等功三級

生没年
1854年〜1904年10月12日
安政元年〜明治37年10月12日

草創期 歩兵
安村陸軍少将 経歴

日露戦争における激戦の中で血を浴び「血染めの連隊旗」として後々まで尊崇された軍旗を持つ姫路歩兵第39連隊、この姫路の連隊を日露戦争で率いたのが安村範雄である。

御親兵の頃から出仕
高知市中島町1丁目13士族にして明治4年御親兵となり上京する。
5年教導団に入り7年陸軍士官学校に学び、8年少尉に任ぜらる。

西南の役には別働隊に属し歩兵第3連隊第1大隊第1中隊小隊長として肥後八代に上陸し各地に転戦し功あり御船の戦いで負傷し松橋病院で療養中中尉に進む。
傷が癒えるや再び従軍し日向各所に転戦、城山の戦いにも参加し凱旋後戦功により金若干を給わり勲六等に叙せらる。
14年頃 第1軍用電信隊小隊長となり従七位に、15年 歩兵第9連隊第2大隊小隊長に転じ16年大尉に進み正七位に叙せらる。
18年4月 勲五等に叙し21年士官学校生徒中隊長、22年 歩兵少佐に進級し歩兵第8連隊附、歩兵第20連隊大隊長を歴任。

日清戦争では第2軍に属し柳樹屯に上陸し占領各地の守備にあたり凱旋後旭日小綬章を賜る。
30年 中佐に進み台湾守備歩兵第6連隊長として台湾に移り土匪討伐に功あり、32年2月 歩兵第32連隊長に補され大佐に進み勲三等瑞宝章を授けらる。
35年9月より休職となり帰郷し在郷軍人幹事長となる。

沙河会戦 三塊石山の攻防
日露開戦により動員となり歩兵第39連隊長に補せられ野津第4軍に編入され遼陽会戦をはじめ各地を転戦。
運命の沙河会戦、三塊石山の戦いは夜中1時より範雄が先頭たる日本軍の夜襲を察知した露軍の砲火により始まり攻防は明け方には激しさを益々増した。
範雄等は一歩も引かず壮絶な白兵戦に挑み激戦の末に敵弾に中り戦死した(少将に特進、享年50歳)。
午前6時には遂に三塊石山を占領しこの戦いで沙河会戦の勝利に多大なる功績を残した。

連隊旗が血に染まったのもこの戦いでの出来事で連隊旗は手品川少尉斃れ、山脇少尉に代わるも斃れ、某上等兵に代わり又斃れ僅かな残兵により持ち帰られ、如何に壮絶な戦いであったかを伝える。
38年1月姫路連隊で葬儀を行い血染めの連隊旗と共に範雄ら戦没者の勇気は後進の模範となった。


参考資料
書籍名著者出版社
土佐偉人伝寺石正路富士越書店
日露戦争実記博文館
明治過去長 物故人名辞典大植四郎東京美術
陸海軍将官人事総覧 陸軍篇外山操芙蓉書房
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