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軍人史跡 善通寺

第十一師団司令部跡

第十一師団司令部
第十一師団司令部、実際に使用されていた建物そのままであるらしい。
第十一師団司令部跡之碑
第十一師団司令部跡之碑
第十一師団司令部
敷地内には戦車などの展示もある。
◆善通寺市南町にある乃木資料館はかつての第十一師団司令部である。
現在は陸上自衛隊第14旅団の音楽隊が一階を使用しており、二階が資料館として公開されている。
外観、内部とも当時のままであるらしく、館内には乃木希典から始まる歴代師団長のコーナーや、乃木ゆかりの品々などが並ぶ。
その他「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文の軍服などの展示もある。

乃木神社

善通寺乃木神社 善通寺乃木神社

善通寺乃木神社
所在:香川県善通寺市文京町
◆乃木希典が初代師団長を務めた善通寺第十一師団、そのゆかりからここにも 乃木神社がある。
護国神社が隣接しておりその裏手に現在の自衛隊第十四旅団の敷地。
御社内には大きな乃木大将と静子夫人の御尊影があり、境内には軍馬忠魂碑や工兵隊碑などがある。
善通寺乃木神社 善通寺乃木神社 善通寺乃木神社

善通寺陸軍墓地

善通寺陸軍墓地案内石柱
道路横にひっそりと建つ陸軍墓地の石柱
善通寺陸軍墓地の門
善通寺陸軍墓地の門 ここにも「陸軍墓地」と記されている。
◆善通寺市生野町鶴ヶ峰東斜面に善通寺陸軍墓地が現存する。
乃木資料館から24号線を東に進み、47号線に入って南下すると道路脇に陸軍墓地の石柱を発見できる。
門前には朽ちかけた木の棒に「史跡めぐり」の文字が、門を入ると駐車スペース?も確保されいるが、既にここに墓石が数基並ぶ。
「大東亜戦中米英壕軍人之墓」と記され各面にその名が刻まれた墓に他数基は明治10年頃に没した軍人の墓を再建立したものなどである。
大東亜戦中米英壕軍人之墓と明治初期の軍人之墓
大東亜戦中米英壕軍人之墓と明治初期の軍人之墓
善通寺陸軍墓地 兵卒の墓
兵卒の墓石が並ぶ。
門から直進して進めば左手に兵卒の墓石が並ぶ一角(※上の写真)、さらに奥にも数基の墓石があるが(※右の写真)下士官の他に「陸軍技手」や「陸軍幼年学校生徒」の墓も並ぶ。
最も奥にあるのは「明治三十七八年戦役戦病死者合葬之墓」、工兵第十一大隊奉納の台もある。
階段を上った先には将校の個人墓に「戦没将士合葬之墓」「満州事変戦没将士合葬之墓」「日華事変及太平洋戦争戦没者之墓」などがある。
善通寺陸軍墓地 下士官や幼年学校生徒の墓
下士官や幼年学校生徒の墓
善通寺陸軍墓地 明治三十七八年戦役戦病死者合葬之墓
明治三十七八年戦役戦病死者合葬墓
善通寺陸軍墓地 工兵第十一大隊奉納の台
工兵第十一大隊奉納の台
善通寺陸軍墓地 戦没将士合葬之墓
戦没将士合葬之墓
善通寺陸軍墓地 満州事変戦没将士合葬之墓
満州事変戦没将士合葬之墓
善通寺陸軍墓地 日華事変及太平洋戦争戦没者之墓
日華事変及太平洋戦争戦没者之墓

陸軍主計少佐 大西柳太郎碑
陸軍主計少佐 正六位勲四等 大西柳太郎碑
〜善通寺陸軍墓地の個人墓〜

◆師団の置かれた善通寺の陸軍墓地と云う事でさぞ多くの個人墓があるのかと思いきや、その数は以外に少ない。
しかし墓地内には広い空間の中、片隅に一基の墓石だけポツンと建っていたり、雑草なども整理されている何もない広い空間などが数か所存在する。
敗戦後、遺族が陸軍墓地内の墓を改葬した例も多々あったようではあるが、おそらくこれらの空間にもかつては整然と多くの個人墓が並んでいいたのではないだろうか?
左の写真の大西柳太郎は昭和11年8月満州国敦化陣没者であるが、この碑も不自然に広い空間の中に一基だけポツンと建っていた。
ここより、善通寺陸軍墓地に墓石のある5柱の将校について記す。
既に記した墓石、碑等と同様に墓参に行く方が、これら軍人の事を知ることでより感謝や尊敬の気持ちを強くして墓石の前で手を合わせる事が出来るよう一助となれば幸いである。

陸軍歩兵大尉 幸田健輔

陸軍歩兵大尉 幸田健輔
幸田健輔 肖像
陸軍歩兵大尉 幸田健輔墓
陸軍歩兵大尉 幸田健輔墓
氏名
幸田健輔(こうだ けんすけ)
最終階級
陸軍歩兵大尉 正七位勲六等功五級
生没年
?〜1904年8月9日
?〜明治37年8月9日

≪経歴≫
島根県邑智郡長谷村の人にして明治37年8月9日小弧山に戦死する。
是日大尉に進み正七位勲六等功五級に叙し單光旭日章を賜う。
【明治過去帳 参考】

陸軍砲兵大尉 斎藤正奇

陸軍砲兵大尉 斎藤正奇墓
陸軍砲兵大尉 斎藤正奇墓
斎藤正奇(さいとう まさき)
{最終階級}陸軍砲兵大尉 正七位
{生没年}明治6年頃〜明治36年10月24日 


≪経歴≫
陸軍士官学校砲兵科を首席で卒業し35年11月28日陸軍大学校を卒業。
36年10月24日没す、享年30歳。
【明治過去帳 参考】

陸軍輜重兵少尉 佐々木祐二

陸軍輜重兵少尉 佐々木祐二墓
陸軍輜重兵少尉 佐々木祐二墓
佐々木祐二(ささき ゆうじ)
{最終階級}陸軍輜重兵少尉 正八位勲六等
{生没年}明治6年頃〜明治37年10月4日 


≪経歴≫
名古屋市中ノ町二丁目士族にして明治37年10月4日、盛京省龍頭定立病院に病死する。
勲六等を賜う。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵大尉 森源之助

陸軍歩兵大尉 森源之助墓
陸軍歩兵大尉 森源之助墓
森源之助(もり げんのすけ)
{最終階級}陸軍歩兵大尉 正七位勲五等功五級
{生没年}?〜明治37年10月31日


≪経歴≫
徳島県名東郡加茂名村大字蔵本村士族にして明治37年10月31日、青泥窪兵站病院に病死する。
勲五等功五級に叙し双光旭日章を賜う。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵中尉 上田憲一

陸軍歩兵中尉 上田憲一墓
陸軍歩兵中尉 上田憲一墓
上田憲一(うえた けんいち)
{最終階級}陸軍歩兵中尉 従七位
{生没年}?〜大正11年年4月19日


≪経歴≫
現在資料発見できず不明。
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