home > 軍人史跡 > 浜田市

軍人史跡 島根県浜田市

濱田陸軍墓地

濱田陸軍墓地への案内板
濱田陸軍墓地への案内板
◆島根県浜田市長沢町にある長沢公園、ここにかつての濱田陸軍墓地が現在もおそらくはそのまま残っている。
国道9号線より住宅街を入っていくと小さいながらも陸軍墓地の案内板も建っていた。
その案内板に従い細い道を進むと行き止まりとなる場所に「濱田陸軍墓地」の石碑がある。
濱田陸軍墓地の碑
濱田陸軍墓地(長沢公園)の碑
ここから上に伸びる階段を上がると遊具などがあるのだがその一角には陸軍中将多田保の書による碑もある。 さらに階段を上ると最初に拡がるのが陸軍墓地二号台、日露戦争での戦病死者 下士官14柱、兵卒17柱の墓石。
濱田陸軍墓地2号台
前列に兵卒の墓石、後列には伍長など下士官の墓石が並ぶ。
濱田陸軍墓地2号台下士官の墓石
こちらは曹長など下士官の墓石、墓石前の木は樹齢100年程度のものでは到底ないと思うがもともとこのような建て方をしたのだろうか。
2号台の次は1号台、ここは日露戦争の戦病死将校9柱の墓石がある。
看板背後の将校墓石のように、墓石前方に何らかの木?が植えられており、その枝や葉が墓石を覆っており刻まれた文字の確認に手間取った。
1号台の隣には3号台があり、北清事変(義和団の乱)の戦病死者203柱の墓石が整然と並んでいる。
最上段には陸軍大将白川義則の書「日清日露戦役陸海将卒之碑」が建立されている。
濱田陸軍墓地1号台将校の墓石
濱田陸軍墓地1号台将校の墓石 墓石前の木が墓石を覆っている。
濱田陸軍墓地3号台北清事変戦病死者の墓石
濱田陸軍墓地3号台北清事変戦病死者の墓石
陸軍大将白川義則の書「日清日露戦役陸海将卒之碑」
陸軍大将白川義則書「日清日露戦役陸海将卒之碑」
日清日露戦役陸海将卒之碑の傍らの石灯篭
側面に刻まれた詩「思ひ起す 国の光や さくら花」
ここより、濱田陸軍墓地に墓石のある9柱の将校について記す。
墓参に行く方が、これら軍人の事を知ることでより感謝や尊敬の気持ちを強くして墓石の前で手を合わせる事が出来るよう一助となれば幸いである。

陸軍歩兵少佐 松永十郎

松永十郎墓
松永十郎 墓
濱田陸軍墓地での個人墓での最高位はこの墓石であった。
陸軍歩兵少佐 松永十郎の墓。
松永少佐については簡単な略歴しか現在判明しないのだが、「都道府県別軍人」の長崎に記しているので参照してほしい。

陸軍歩兵大尉 村井丹宮

村井丹宮 肖像
村井丹宮 肖像
村井丹宮墓
村井丹宮 墓
氏名
村井丹宮(むらい たんぐう)
最終階級
陸軍歩兵大尉 正七位勲五等功五級
生没年
?〜1904年6月15日
?〜明治37年6月15日

≪経歴≫
山口県厚狭郡吉田村士族にして勲六等を有し日露戦争に出征。
得利寺の戦いに参加し盛京省孫家屯付近に戦死する。
即日大尉に進み正七位勲五等功五級に叙し双光旭日章を賜う。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵大尉 中村恒太

中村恒太墓
中村恒太 墓
中村恒太(なかむら つねた)
{最終階級}陸軍歩兵大尉 正七位勲四等功五級
{生没年}?〜明治37年7月30日 


≪経歴≫
山口県厚狭郡小野村の人にして勲五等を有し日露戦争に出征。
明治37年7月24日大石橋の戦いにおける盛京省大平嶺付近の戦闘に於いて第1中隊長として他部隊に先んじ大平嶺の堡塁に突入しその司令塔を占領するも、胸部に銃創を受け30日野戦病院に死亡する
即日勲四等功五級に叙し旭日小綬章を賜う。
【明治過去帳 我等のほこり参考】

陸軍歩兵中尉 下瀬峰槌

下瀬峰槌
下瀬峰槌 肖像
下瀬峰槌墓
下瀬峰槌 墓
下瀬峰槌(しもせ みねづち)
{最終階級}
陸軍歩兵中尉 従七位勲六等功五級
{生没年}
?〜明治37年9月1日 


≪経歴≫
山口県佐渡郡防府町大字西佐波令 平民にして日露戦争に出征。
第1中隊小隊長として得利寺の戦い以来各地に転戦、大石橋の戦いに於いて北大山の堡塁占領戦では中隊長の中村恒太が斃れた後も部下を指揮して戦ったが胸部を貫かれ9月1日第5師団衛生隊に於いて死亡。
中尉に進み従七位勲六等功五級に叙し單光旭日章を賜う。
【明治過去帳 我等のほこり 明治三十七八年戦役第五師管忠魂録 参考】

陸軍歩兵中尉 河村康治

河村康治
河村康治 肖像
河村康治墓
河村康治 墓
氏名
河村康治
(かわむら こうじ)

最終階級
陸軍歩兵中尉 従七位勲六等功五級
生没年
?〜1905年1月29日
?〜明治38年1月29日
≪経歴≫
山口県厚狭郡厚西村 士族河村利雄の子にして明治32年士官学校を卒業し日露戦争に出征。
松永(十郎)大隊副官として黒溝台会戦に参加し奮戦する松永少佐の傍らに常にあり右手を負傷するも徐家窩棚の占領後の追撃戦に加わり、1月 戦場にて松永少佐の傍ら斥候の報告を聴いている最中後頭部に砲創を受け松永少佐の膝上に倒れかかる。
29日 第8師団野戦病院で死亡する。 勲六等功五級に叙し單光旭日章を賜う。
【明治過去帳 日露戦争実記 参考】

陸軍歩兵中尉 荒本傳次郎

荒本傳次郎墓
荒本傳次郎 墓
荒本傳次郎(あらもと でんじろう)
{最終階級}陸軍歩兵中尉 正七位勲六等
{生没年}?〜明治38年3月1日 


≪経歴≫
島根県那賀郡有福村大字下有福 平民にして正八位勲八等を有し日露戦争に出征。
奉天会戦に参加し李家窩柵での戦闘で戦死する。 勲六等叙し單光旭日章を賜い後に特旨を以て正七位を追贈せらる。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵中尉 渡邊賀之助

渡邊賀之助
渡邊賀之助 肖像
渡邊賀之助墓
渡邊賀之助 墓
渡邊賀之助(わたなべ がのすけ)
{最終階級}
陸軍歩兵中尉 従七位勲六等功五級
{生没年}
?〜明治38年3月1日 


≪経歴≫
島根県美濃郡豊田村大字安富 平民にして奉天会戦に参加し李家窩柵での戦闘で戦死する。
従七位勲六等功五級に叙し單光旭日章を賜う。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵大尉 藤野啓吉

藤野啓吉墓
藤野啓吉 墓
藤野啓吉(ふじの けいきち)
{最終階級}陸軍歩兵大尉 正七位勲五等功五級
{生没年}?〜明治38年10月10日 


≪経歴≫
島根県周吉郡磯村字今津 平民にして明治38年10月10日盛京省四方台舎営病院に病死する。
【明治過去帳 参考】

陸軍歩兵大尉 弘田永伸

弘田永伸墓
弘田永伸 墓
弘田永伸(ひろた えいしん)
{最終階級}陸軍歩兵大尉 従六位勲四等功五級
{生没年}?〜明治40年12月16日 


≪経歴≫
明治40年12月16日に没する。
是日特旨を以て従六位に進めらる。
【明治過去帳 参考】

参考資料
書籍名著者出版社
征露戦報実業之日本社
日露戦争実記博文館
明治過去長 物故人名辞典大植四郎東京美術
明治三十七八年戦役第五師管忠魂録第五師団副官部第五師団副官部
我等のほこり歩兵第二十一聯隊将校集会所歩兵第二十一聯隊将校集会所
inserted by FC2 system