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最強騎兵を破った勇将

田村久井 氏名
田村久井(たむら ひさい)


最終階級
陸軍少将 従四位勲二等功三級

生没年
1851年〜1926年4月1日
嘉永3年〜大正15年4月1日

草創期 騎兵兵
田村陸軍少将 経歴

軍歴
高知城北江口村の人、若い頃より民権家の植木枝盛、後に元帥になる海軍の島村速雄とは深い親交があったと云う。
西南戦争がはじまると騎兵軍曹として出征し曹長に進む。
その後進級を重ね明治19年より22年7月までフランス留学し、この間に大尉となる。
少佐となり第3師団に新設された騎兵第3大隊長、中佐の頃には陸軍獣医学校長などを務める。
また明治30年9月には子がいなかった為か養子をもらっている。
31年、軍務局騎兵課長となり翌年12月に大佐に昇進。
33年4月騎兵第13連隊長となりこの役職のまま日露戦争に出征する事となる。

コサック騎兵撃破
得利寺の戦いで久井の連隊を主力とする騎兵第1旅団がロシアの騎兵部隊と激突し、支援射撃が出来ないほどの熾烈な乗馬戦の末、最強と謳われていたコサック騎兵を騎兵正規の戦いである乗馬戦で見事に破り味方の士気を大いに高めた。
戦中の37年9月に少将に進級し閑院宮戴仁親王の後を受けて騎兵第2旅団長としてその後の戦闘にも活躍した。

騎兵第2旅団将校馬券購買事件
戦後、第2旅団所属将校の馬券購買事件により部下からの報告のもと事件は事実無根と判断した久井は東京憲兵隊すなわち直属の指揮権を持つ寺内正毅陸相と対立する事となる。
旅団長で馬券購買疑惑のあった将校への懲戒権を持っていた田村だったが、事実無根と判断した以上は己の栄達も捨てて憲兵隊との全面的対決も辞さなかった。
この事件が原因なのか、その後久井は冷遇され5年もの間騎兵第2旅団長のまま据え置かれ明治42年9月、輝かしい戦歴を持ちながらついに少将のまま後備役となってしまった。
その後の久井については不明である。


参考資料
書籍名著者出版社
日本騎兵史 上巻佐久間亮三 平井卯輔原書房
明治馬券始末大江志乃夫紀伊國屋書店
陸海軍将官人事総覧 陸軍篇外山操芙蓉書房
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