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軍人史跡 安芸市

海軍中将 仙頭武央墓所

仙頭武央墓
海軍中将 仙頭武央墓

仙頭武央墓
仙頭武英等の墓も並ぶ
◆高知県安芸市穴内にある十二所神社裏の道路を挟んだ山中に「海軍中将 正四位勲三等功四級 仙頭武央墓」が一族の墓と共に並ぶ。
この地区には随分仙頭姓が多くみられるが、この墓所から南の方には「穴内仙頭本家」と記された碑がありそこには仙頭家が遠祖は長宗我部に仕え後子孫は代々この地で庄屋職を勤めていたことが分かる。
また「武央は日露開戦に活躍し海軍中将となる」との一文も見られる。

海軍少尉 陰山英榮墓所

陰山英榮
海軍少尉 陰山英榮 肖像

陰山英榮(かげやま ひでえ)
{最終階級}海軍少尉 正八位勲六等
{生没年}明治13年〜明治37年5月12日
<海兵28期> 


≪陰山英榮 経歴≫
安芸郡川北村に陰山勝吉の長男として生まれる。 人となり寡黙沈勇にして意思尤も強固、海南学校に学びこの頃友人と舟遊び中に悪少年多勢より凌辱を受けた英榮は友人を先に帰し岸で悪少年等が戻るのを待ち単身格闘を挑み二人を傷つけ三人を走らせる武勇を知られた。
海軍兵学校に入り明治34年卒業し少尉候補生に任ぜられ練習艦に乗組みオーストラリア、ニュージーランドに周航する。
36年8月 少尉に任じ「八島」乗組に補し37年日露戦役が起こるや第四十八号水雷艇乗組として出征し遼東海岸の掃海の任にあたる。
5月12日 大連港外大ヨウ口の掃海中敵の機械水雷に触れ沈没、享年26歳にして戦死。
即日功を以て勲六等單光旭日章を授けらる。
【寺石正路「土佐偉人傳」・大植四郎「明治過去帳」 参考】

◆安芸市の清水ヶ丘中学校の南側に広がる墓所の中に寺石正路著「土佐偉人傳」武門偉勲の項にその名が見られる人物「故海軍少尉 正八位勲六等 陰山英榮之墓」がある。

墓石表面の書は永野修身によるもので英榮とは海軍兵学校28期の同期生であり、また同郷と云う事もあり親交も深かったのであろう。

陰山英榮墓
海軍少尉 陰山英榮之墓
陰山英榮墓裏面
英榮之墓裏面
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