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滋賀県出身海軍軍人

海軍の独眼龍
三須宗太郎 三須宗太郎(みす そうたろう)

最終階級
海軍大将 正三位勲二等功二級 男爵
生没年
1855年9月16日〜1921年12月24日
安政2年8月6日〜大正10年12月24日
<海兵五期>

■経歴
日露戦争での戦傷により失明し独眼龍の異名を持つ勇将山地元治になぞらえ「海軍の独眼龍」と讃えられた勇将。 大老井伊直弼の老臣、三須熊治の長男。 明治四年に海軍兵学寮に入り頭角を現し、征台の役、西南戦争と相次いで参戦する。 戦後、少尉補に任官し以後累進し日清戦争の頃には官房人事課長を務めており、海軍省で後方任務に当たった。 三十年に「須磨」艦長として現場に復帰し、「浪速」「朝日」の各艦長を経て人事局長に就任する。 日露戦争には上村彦之丞率いる第二艦隊の第二戦隊司令官として出征、蔚山沖海戦ではウラジオ艦隊を撃破するなどの功をげた。 日本海海戦には第一戦隊司令官に転任し戦ったが敵弾の破片を浴び左目を失明した。 戦後は海軍教育本部長、旅順口鎮守府司令長官、海軍軍令部次長、舞鶴鎮守府司令長官を歴任し大正二年に大将に昇った。

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