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青森県出身陸軍軍人

日露戦争の名旅団長、一戸堡塁を占領
一戸兵衛 氏名
一戸兵衛(いちのへ ひょうえ)

最終階級
陸軍大将 従二位勲一等功二級
生没年
1855年8月2日〜1931年9月2日
安政4年4月22日〜昭和10年12月6日
<草創期 歩兵>

■経歴
弘前藩士 一戸範貞の長男。陸軍兵学寮に入り明治十年に少尉任官。西南戦争に出征し戦傷を負っている。
戦後累進し日清戦争には大島義昌率いる混成旅団隷下で出征し、歩兵第二十一連隊長に任命され戦功をあげた。
留守第四師団参謀長、中部都督部参謀、近衛歩兵第四連隊長、第六師団参謀長を歴任し明治三十四年に歩兵第六旅団長となり日露戦争に出征。
一戸の活躍目ざましく旅順攻囲戦では激戦の末日本軍唯一の目標堡塁の占領、第二次総攻撃でも堡塁占領の戦果をあげ「一戸堡塁」と呼ばれた。
戦後、第一旅団長を経て中将に昇進し第十七、第四、第一の各師団長を歴任し軍事参議官、教育総監、学習院長などの要職を務めた。

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