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鹿児島県出身軍人 壱

露土戦争に参戦した将軍
山澤静吾 氏名
山澤静吾(やまざわ せいご)

最終階級
陸軍中将 従三位勲二等 男爵
生没年
1846年1月12日〜1897年3月30日
弘化2年12月15日〜明治30年3月30日
<草創期>

■経歴
薩摩藩士 山沢十太夫の長男で戊辰戦争に従軍。 維新後、御親兵の頃から陸軍に出仕しアメリカ留学から帰国後、露土戦争の観戦武官として派遣される。
明治11年より歩兵第3連隊長、歩兵第1連隊長、近衛歩兵第1連隊長を経て18年少将に昇進後より歩兵第3旅団長、歩兵第10旅団長を歴任。 日清戦争が始まると留守歩兵第9旅団長となるが後第4師団長として出征する。




真田山陸軍墓地に眠る薩摩の初期陸軍将校
今井兼利 氏名
今井兼利(いまい かねとし)

最終階級
陸軍少将 正四位勲三等
生没年
1835年3月〜1890年9月16日
天保6年3月〜明治23年9月16日
<草創期>

■経歴
薩摩國鹿児島郡鹿児島坂本村(現:鹿児島県鹿児島市坂元町)に誕生し後に今井一兵衛の嗣子となる。
藩政時代には横目の職にあり薩英戦争、禁門の変、戊辰戦争にも参戦した。
明治4年新政府に出仕し8月営繕少祐、営繕権助となり、10月土木権助、6年7月土目助、7年4月製作助を歴任。
7年9月陸軍中佐に任じられ陸軍に身を置く事となる。
第1経営部分課を始めに11月工兵第1方面提理及び第3方面提理も兼務、第3方面提理は翌8年1月に兼務を解かれる。
10年の西南戦争には征討第1旅団に属し木葉、田原坂で戦い征討第2旅団参謀に転じ転戦し8月宮崎県火之谷峡谷で左股に銃創を負う。
11年11月陸軍大佐に進み翌月第4局副長、12年10月工兵局長に就任し海岸防御取調委員を兼務した。
15年3月参謀本部海防局長に転任し各地を視察、16年2月陸軍少将に昇任し陸軍工兵会議議長に就任した。
17年2月東京鎮台軍法会議判士、18年5月陸軍戸山学校長に転じ19年7月には歩兵第7旅団長を命ぜられ着任した。
23年9月、第8連隊各大隊の野外演習視察の途上に劇症コレラを発症し逝去、大阪の真田山陸軍墓地に葬られた。 子は四男二女があり二男は後の海軍少将今井兼昌である。




日清戦争 第1師団参謀長
伊瀬知好成 氏名
伊瀬知好成(いせち よしなり)

最終階級
陸軍中将 正三位勲一等功四級 男爵
生没年
1848年11月23日〜1922年9月29日
嘉永元年10月28日〜大正11年9月29日
<草創期 歩兵>

■経歴
鳥羽伏見の戦いに薩摩藩第五番大隊に属し参戦し戊辰戦争の開戦により第二番大隊第七番小隊小頭として出征し白河で負傷するが回復するや再び前線に立って戦った。
維新後、陸軍に出仕し西南戦争には別働第1旅団隷下の大隊長心得として出征した。
明治19年より歩兵第8連隊長、近衛歩兵第3連隊長、歩兵第2連隊長を歴任した。
日清戦争にも出征し戦役中に山地元治率いる第1師団の参謀長や歩兵第11旅団長を務めた。
威海衛占領軍司令官を兼務し凱旋後は近衛歩兵第2旅団長を経て中将に昇進とともに第6師団長に任命される。
35年より休職するも日露戦争開戦により留守近衛師団長を務めた。
明治40年、予備役編入となり、その後貴族院議員を務めた。




日露戦争 後備歩兵第9旅団長
比志島義輝 氏名
比志島義輝(ひしじま よしてる)

最終階級
陸軍中将 正四位勲二等功三級
生没年
1847年10月11日〜1927年3月14日
弘化4年9月3日〜昭和2年3月14日
<草創期 歩兵>

■経歴
鳥羽伏見の戦いに参戦、戊辰戦争に従軍し宇都宮や白川で戦い負傷するも回復後に復帰し会津若松での戦いにも参加し奮戦した。
維新後、明治4年に陸軍に出仕し佐賀の乱、台湾出兵、西南戦争と明治初期の争乱を戦った。
その後、参謀本部第1局第1課長、歩兵第19連隊長、第1連隊長、第4師団参謀長を歴任。
日清戦争には台湾混成支隊司令官として台湾各地を転戦した。台湾兵站監、台湾守備混成第3旅団長、歩兵第15旅団長を歴任後の明治34年に予備役編入となる。
日露戦争開戦となると後備歩兵第九旅団長として満州各地を転戦し武功をあげた。




日露戦争 歩兵第16連隊長として出征
谷山隆英 氏名
谷山隆英(たにやま たかひで)

最終階級
陸軍少将 従四位勲二等功三級
生没年
1851年8月〜1910年10月17日
嘉永4年7月〜明治43年10月17日
<草創期 歩兵>

■経歴
明治8年に少尉任官。西南戦争には第二旅団に属し出征し向坂で戦傷を受けるが回復後には別働第2旅団に配属され再び前線で戦っている。
その後、近衛歩兵、歩兵第3連隊、などで働き西部都督部高級副官に就任した。
明治33年、歩兵16連隊長となり日露開戦には同連隊長として出征し戦功を上げた。
戦役末期に近衛歩兵第2旅団長、戦後に歩兵第22旅団長に就任し明治40年予備役編入となった。

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